2013年 春合宿

今回の合宿地は、石川県七尾市。


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合宿の旅程などを、参加者ごとに紹介します。
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参加者 ことでん 常磐特快 はやぶさ アルプス
535 無口 LP42 みのり

ことでん

3月17日 仙台<北鉄バス エトアール号>車中泊
3月18日 車中泊<北鉄バス エトアール号>金沢<北鉄乗りつぶし>広坂<加越能バス>砺波駅南/砺波
<城端線>高岡/高岡駅前<加越能バス><北鉄能登バス>七尾駅前/七尾<七尾線>和倉温泉
<北鉄能登バス>和倉温泉(温泉街)<徒歩>ホテル
3月19日 ホテル<送迎>和倉温泉<能登島交通 曲線・南線・曲線>のとじま臨海公園
<能登島交通 曲線・祖母ヶ浦線往復・曲線>七尾駅前/七尾<七尾線・北陸本線>富山/富山駅前
<日本中央交通 シルクライナー(西毛金沢経由)>車中泊
3月20日 車中泊<日本中央バス シルクライナー(西毛金沢経由)>前橋BC<日本中央バス>高崎駅東口/高崎
<上信電鉄往復>高崎/高崎駅東口<県道24号・国道354号>玉村八幡宮
<国道354号・関越道脇・県道35号・県道33号>伊香保温泉(ホテル)
3月21日 ホテル<県道33号>石段街<県道33号>榛名湖・榛名神社<県道33号・県道15号>水沢
<県道15号・県道25号>高崎駅東口<北関東道・東北道>仙台駅東口
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3月17日
 この日仙山線沿線の大学でTOEICを受けることにしていた私は、夜に仙台を発たなければならなかった。夜行バスに乗るなら愛称がついている路線にしようと、北鉄バスのエトアール号に乗ることを決め、高松合宿、津和野合宿に続いて2日目を車中で迎えることにした。

 自宅からバスで仙台駅に向かい、この後しばらく行動を共にすることになる高校時代の先輩(初対面だが)と合流した。お世話になる車両は北鉄バスのふそう車で、定刻に発車したバスの車中で位置ゲー(ケータイ国盗り合戦)に精を出しつつ18日を迎えた。

3月18日
 初日の割に良く眠れたが、道中何度か目を覚ました。6時過ぎに金沢駅に降り立った私は、まず北鉄の乗りつぶしから始めることにした。先輩によれば内灘にも見所があるらしいのだが、すぐに折り返し。復路の列車は内灘から多くの通勤通学客が乗車していた。浅野川線から石川線へは北鉄バスを利用。金沢の朝ラッシュの片鱗が既に見え始めていた。石川線は往復ともあまり混雑しておらず、今後が少し心配になった。鶴来駅は鉄道とバスの車庫があるため、本当ならゆっくりしていたかったが、ここもすぐさま折り返し。復路でJRのダイヤが乱れ始めていることを知り、他の会員の動向を心配。

 

 野町へ戻る途中、高速バスがあると先輩から聞いたのでそちらを利用することに。加越能バスのセレガはメーターが同軸メーターになっており、一番内側が時計、その外に回転計、一番外側が速度計となっていた…のは良いのだが、その左隣にもう一つ回転計が付いていた。無意味ではないか?

 かくして広坂(兼六園の近く)から砺波駅南までバスに揺られ、砺波→城端→高岡と移動。ここから氷見線で氷見まで移動する予定だったのだが、ダイヤ改正後の時刻を確認せずにいたため乗り逃す。仕方ないのでここで昼食をとり、氷見から乗る予定だった加越能バスに高岡から乗ることに。乗車前にDD15 31が止まっているのに気づいたので思わず写真を撮った。

 

 私が乗った便はちょうど氷見線のダイヤの合間を縫うような時間に走っており、高岡駅前〜氷見駅口近辺を利用する人も見られた。JRと加越能バスと合わせるとちょうど良いダイヤになりそうである。バスは氷見市街を抜け、阿尾までやってくると海岸線が見えるようになった。眺めは良いのだが、バスの左側に座ってしまった(脇行では海は右手に見える)ことと、時折降った雨のために窓に雨滴が付いていたことにより写真は撮ったがとても見られたものではない。
 この路線の終点である脇は氷見市にあるが、石川県との県境まであと少しのところにあり、バス停から目を凝らせば県境を示す看板が見える。国道沿いに転回場がないため、終点で人を降ろしたバスは脇道をを利用して方向転換する。ここから先は北鉄能登バスに乗り換えて七尾駅へ抜けることになるが、こちらも同様に脇道で方向転換する。かつては乗り継ぐことなく県境を越えられたようだが、分断されてなお一般路線バスで県境を越えられる高岡・氷見〜脇〜七尾というこのルートはその筋の人には有名らしい。

 

 

 七尾駅へ向かう北鉄能登バスは、国道160号をなぞるように走る。百海(ひょうみ)バス停まで海沿いを走るが、そこから先は軽い峠越えもある変化に富んだ路線だ。七尾駅でここまで同行してくださった先輩と別れ、束の間の単独行となる。
 とりあえずのと鉄道に乗っておこうと、一度集合場所である和倉温泉を通り越して穴水まで乗りとおした。2両編成の列車は穴水方に「花咲くいろは」ラッピング、和倉温泉方に「永井豪」ラッピングの車両が使われており、全車ラッピング化されたのかと思っていたら、途中離合する列車でそうではないと知った。穴水でみのり氏と合流し、いよいよ集合場所へと向かう。往路では取り損ねた「ゆのさぎ」の駅名標、復路でバッチリカメラに収めた。
 和倉温泉駅で全員集合した後、バスで和倉温泉の中心部へ。少し歩いて今回の宿泊先に到着した。全員で近くの食堂で夕食を取り、そのあとルート発表会。やはりダイヤの乱れに悩まされた人が多かったようで、そんな中全員集合できたことは良かったと思う。

3月19日
 この日は夕方まで七尾市を離れないことにした。旅館の方に和倉温泉の駅まで送ってもらった後、鉄道に乗る会員を見送った私は、簡単に朝食を済ませてから一人バス停に向かった。やってきたバスで公立能登総合病院へ。今日何度もお世話になる能登島交通は、元々七尾湾に浮かぶ能登島の内部のみを走る会社だった。能登島大橋が出来て能登島が本土と結ばれると、能登島交通は海を渡り七尾市の中心部まで路線を延ばすようになった。簡単に言ってしまえば地方の中小事業者である。高松合宿で小豆島オリーブバスに乗ってからというもの、島の中だけを走るバスや規模の小さい事業者に乗ることに目覚めてしまった私は、全部で3路線というこの会社も利用することにした。
 能登島交通の本線と言える曲線の七尾側の終点は公立能登総合病院…本土側区間のみの利用客も見受けられ、北鉄能登バスとともに地域の足として利用されているようだ。終点に着いたは良いが、七尾駅へ出るバスがしばらくなかったので、小丸山城の跡である小丸山公園を経由して徒歩で七尾駅へ。ここでTSE氏と合流し、いよいよ能登島を目指す。能登島交通は前乗り前降り。しかし最近入った車両は前扉の他に中扉もあり、こちらは締め切って使っている。安全基準か何かの問題らしく、そういえば羽後交通や会津バスも同じようなやり方だったなぁ。
 能登島交通は曲線の他に南線、祖母ヶ浦(ばがうら)線があり、曲線と他の2路線との接続を考慮したダイヤになっている。能登島大橋を渡ってすぐの所にある大橋駐車場バス停はかつてのフェリー乗り場で、ここから南線が発着する。基本的に南線は島の西部にある南集落で折り返すが、下りは最初の2便が南集落を通り過ぎて島の中心部にあるマリンパーク島の湯まで走る。ちょうど2便目に乗り継げるので、ここで乗り換え。整理券は持ったまま隣にいるバスに乗り込むようにとのことだった。ところでこのバス、行き先表示が「マリンパーク島の湯」ではないが、本当に行けるのだろうか…まぁ、多分大丈夫だろう。

 

 南線のバスは古参なのか前扉のみ、座席は前から後ろまで片側2列で灰皿付という、いかにも時代を感じさせる車両だった。島の西部にある百万石、閨といった各集落を通りながら次は南…というところで、終点を告げるアナウンス。やっぱり南止まりなのか、と焦っているうちに南に到着。運転士さんに確認すると、島の湯まで行くが一旦ここで運賃を精算してくれとのこと。不思議な方法だなぁと思いながら運賃を払っていると行き先の設定を変えたのか、今度こそ島の湯へ行く旨のアナウンスが流れてきた。
 既に私とTSE氏の二人しか乗客がなかったため、南から先で運転士さんとお話しすることが出来た。曰く能登島にも温泉があり、人によっては和倉温泉より肌に合うと評判なんだとか。島の湯で降りる人には割引券を配っているそうだが、手持ちがなかったためかよく分からない券を渡されて、「これを見せて事情を話せば分かってもらえるはず」と言われた。ところで運賃表示は途中から消える仕様らしく、南から島の湯の運賃は運転士さんに言われるまま払ったが、果たして正規の運賃なのか、いくらか安かったのかは分からない。まさか高いなんてことはないだろうが…
 能登島の中心部にほど近いマリンパーク島の湯は、祖母ヶ浦線の起点となっており、2往復のみ南から延長運転される南線も含めると能登島交通の全路線が集まる要衝である。ここで七尾へと戻るTSE氏を見送り、私は再び曲線の奥を目指した。途中ガラス美術館を経由して、終点ののとじま臨海公園に着いた。

 ここには石川県唯一の水族館があり、県内にはCMも流れているらしい。ジンベエザメが有名で、館内に入ってすぐに大きな水槽があり圧巻である。入口にもジンベエザメが鎮座しており、よく見ると後ろの生け垣は石川県を象った物になっている。

 

 のとじま水族館にはドクターフィッシュが展示されており、手を洗えば水槽内に手を入れて手を啄んでもらえるようになっていた。試してみたがなかなかくすぐったい。苦手な人は堪えられない気がする。一通り見て回った後、館内でお昼を食べてお土産も買ったがバスの時間まではまだ間がある…イルカ・アシカショーがあるというので、見ることにした。アシカは目の前までやってくるし、5頭のイルカが次々にジャンプするし、なかなか楽しめた。

 水族館を後にして、再び島の湯へ。ここで小一時間ほど待つのだが、長風呂する傾向のある私にはちょっと時間が足りなかったので入浴せずバスを待った。苦渋の決断だった…必ず再訪して温泉に浸かってやる!と悔しがりながら待つうちに次のバスがやってきた。祖母ヶ浦と書いて「ばがうら」と読むこの祖母ヶ浦線、上りの最終が早く、今回の行程を組む上で大いなる障壁となった。

 私が乗った祖母ヶ浦線の下りは曲線下りと接続しているためか、乗車時に「このバスで良いんですか?」と運転士さんに訊ねられる事象が発生した。そりゃ、観光客っぽい人が乗る路線じゃなさそうだもんね。島の湯を出たバスは時折離合出来ないような狭い道を走りながら島の東部にある野崎、長崎といった各集落を辿っていく。途中にあるF目(えのめ)集落は読み方を知らないとまず読めないと思う。そして私の携帯では変換できなかった。終点の祖母ヶ浦は漁港のある小さな集落で、集会所がある場所の海抜は1.2mだとか。こういう表示がなされるようになったのは、おそらく東日本大震災の後だろう。折返しまでの30分弱どうしようかと思っていると、海抜が高いのか、避難場所として白山神社の案内があった。とりあえず行ってみると途中で猫に迎撃され、しばらく足止めされた。白山神社は三方を森に囲まれたこじんまりとした神社で、50段程度の石段もあり、なるほどここが集落で一番海抜の高い場所なのだろう。

 参拝を終えた後、集落の掲示板に一枚の古いお知らせを見つけた。曰く2007年度いっぱいで島内の福祉バスを廃止し、翌2008年度から能登島交通の路線バスがその役を担うのだという。各路線の一部区間が該当するが、南線に関しては記載されている便のみとのことだった。その便は島の湯まで延長運転されている2往復で、途中で運賃精算とは不思議だ、と思った理由がこの時分かったのである。南〜島の湯間は島民しか乗らないような区間のため、乗り継ぎした一般の利用者向けの運賃が設定されていないのだろう。
 折返しのバスは結局私一人しか乗客がおらず、運転士さんとずっと話しながらの乗車となった。島内にタクシーの営業所を置けないから、タクシーは本土から呼ばないといけないだとか、島内でマラソン大会があるときはバスが大混雑するだとか、お国言葉で色々と話してくださった。こういうことがあるから、地方のバスに乗るのは楽しい。帰りは島の湯で曲線上りに接続し、今回も整理券を持ったまま次のバスに乗り込んだ。島の湯から大橋駐車場の間を乗れば、能登島交通はほぼ全区間乗車達成。残ったわずかな区間(バス停1つ分)を乗ることを、島の湯へ入ることと合わせて再訪を誓った。
 やっと七尾に戻った私は久々の(?)鉄道に乗り、七尾→津幡→富山と移動。乗れれば良いなと思っていた急行型にも乗れたし、短距離の移動の割についていたと思う。

 移動中に調べた温泉に入ってさっぱりした後、時間をつぶすために地鉄環状線を一周、日付が変わる直前に乗る予定のバスは結局日付をまたいでから姿を現した。

3月20日  初日に続いて今日も車中泊である。北陸から群馬へ移動するのに鉄道では間に合わない(新幹線はアウトオブ眼中)ため、夜行バスを探したところ日本中央バスが出てきた次第。それにしても群馬と関西を結ぶ「シルクライナー」という路線は4通りの経路があって複雑なことこの上ない。そのおかげで富山・金沢を経由する路線があるのだから今の私にとってはありがたいのだが。

 初日に乗ったエトアール号と違って車内がフェイスカーテンで間仕切りされていなかったため、携帯をいじれない。その代わりに寝なければという意識が働いたのか、寝付くのは早かったような気がする。一度有磯海で休憩した後は、気づけば終点の前橋バスセンターだった。このバスセンターは日本中央バスの車庫に隣接しており、待合室からはバスが勢揃いしている様子が見えた。ここからは高崎駅と前橋駅へ行く2路線の路線バスが出ているが、今回は高崎駅東口行のバスに乗ってバスセンターを後にした。

 高崎駅で朝食を取りながらコインランドリーを探し、いざバスに乗って目的地へ…でも、結局駅から歩いたほうが近かった。ま、バスに乗れたから良しとしましょう。そしてこのコインランドリー、隣に群馬バスの回転場があり、選択している合間にバスの見物が可能という好立地!何度か見物しつつ洗濯を終えて外に出ると、仙台はおろか宮城でも見られなくなってしまった富士重6Eが。思わず写真を撮ってしまった。

 駅に戻ったのは9時過ぎ。このあと待ち合わせがあったので先ほど見かけた6Eが来るまで待つか、上信電鉄に乗るか迷っていたが、結局上信電鉄に乗ることに。切符を買おうとしていると何か茶色の箱が近づいてくるのが見えたのでカメラを構えてスタンバイ。意図せずしてSLDL碓氷を見ることができた。さて今度こそ上信電鉄へ…あれ、この車は日野自動車製?と思ってしまったくらい、日野一色の車両が待っていた。エンブレムまでつけるとは力が入ってるなぁ。実際のところ、新潟鐵工所製だけどね。

 

 下仁田まで往復した後、兼部先の都市・まちづくり研究会の方々と合流し、ここから総勢11名で行動することに。ヤマダ電機の本店にあるレストラン街でお昼を食べ、2台の車に便乗して移動。目的地の玉村町ではまちづくり団体の方に町の案内をしていただいた後、簡単な話し合いをして交流を深めた。玉村町は日光例幣使が朝廷から日光東照宮へと向かうために使った街道が通っており、鉄道こそ走っていないもののかつては要衝であったとか。

 夕方に玉村を発って、この日のお宿は伊香保温泉。日本の名湯だけあって、良いお湯だったなー。玉村でいただいた日本酒も、この年は良い出来だったらしく、飲みやすくて飲み会(?)が捗る捗る。

3月21日
 この日はひたすら観光に徹した。まず伊香保の石段街をぶらぶら。頭文字Dの2巻でタクミとイツキが食べていた温泉まんじゅうも食べ、お土産も買ってお次は榛名山へ。途中の展望台に立ち寄り、メロディーロードが奏でるメロディーを楽しみながら走っていると、榛名湖畔で前日に見かけた6Eに再び遭遇。湖畔の景色をちょっと楽しんで、榛名神社への途上で山と湖を背景に一枚撮影した。

 榛名神社を一通り巡った後、お昼に水沢うどんを食べた。ちょっと待った甲斐あって、茹で立てをいただくことができた。讃岐うどんともちょっと違うしっかりした麺。普段やわらかい物ばかり食べているせいか、顎の筋肉が鍛えられたような気がした。これで日本三大うどんは制覇!稲庭うどんだけは現地で食べたことがないはずだから、いずれ食べに行きたいものだ。

 

 お昼を食べた後は高崎駅で先輩2人を降ろし、9名で帰路に就いた。何度か休憩を取りつつ、5時間で仙台に帰り着いた。自宅に着いたのは21時前。今回は当会と都市研の2つの合宿をはしごし、思うように行動する時間はあまり取れなかったが、一般路線バスで県境を越えたり、能登島のバスを乗り回したりと、なかなか面白い経験ができたと思う。院試を控え、4年の夏は合宿に参加できないだろうが、今回思いっきり旅してきたので多少は堪えられると信じている。

以上で今回の合宿報告を終わります。最後までお読みくださり、ありがとうございました。