2012年 夏合宿

今回の合宿地は、島根県鹿足郡津和野町。

合宿の旅程などを、参加者ごとに紹介します。
参加者名をクリックすると、参加者のページを開きます。
「合宿報告」に戻る


参加者 ことでん 常磐特快 アルプス 535
ガイシ 無口 朱鷺 LP42 みのり

ガイシ

8月19日 仙台<国道4号線>宮城県白石市<国道113号線>新潟県村上市<国道7号線>新潟県新発田市<国道460号>新潟県新潟市南区<国道8号>新潟県長岡市<国道8号線長岡バイパス>新潟県柏崎市
<国道8号線>犬島新町駅<富山ライトレール>岩瀬浜<富山ライトレール>犬島新町駅
<国道8号線富山高岡バイパス>富山県高岡市<国道156号線>北陸健康センター「アラピア」泊
8月20日 北陸健康センター「アラピア」泊<農道><国道8号線>石川県津幡市<国道8号線津幡北バイパス><国道8号線津幡バイパス><国道8号線金沢バイパス><国道8号線小松バイパス> <国道8号線福井バイパス>福井県越前市<国道365号線>福井県南条郡南越前町今庄<福井県道207号線>旧北陸本線トンネル群<福井県道207号線>北陸自動車道杉津パーキングエリア<国道8号線>福井県敦賀市
<国道27号線金山バイパス><国道27号線美浜東バイパス><国道27号線>京都府舞鶴市<国道175号線>京都府福知山市<国道9号><鳥取県道319号線>鳥取砂丘<鳥取県道319号線>ホテル
8月21日 ホテル<国道9号線><国道9号線北条バイパス>米子<国道9号線>黄泉比良坂<国道9号線>
<国道9号線出雲バイパス><島根県道26号線><島根県道161号線>出雲大社前駅/出雲大社
<国道431号線><国道9号線>中国電力三隅火力発電所<国道9号線>津和野駅<原付>
森鴎外記念館/森鴎外生家<原付>橘サイクル/オイル交換<原付>太鼓谷稲成神社<徒歩>津和野城跡
<徒歩>太鼓谷稲成神社<原付>ポプラ津和野店<原付>太鼓谷稲成神社<原付>津和野駅<徒歩>
ホテル
8月22日 ホテル<国道9号線><国道315号線><国道376号線><国道2号線>
山口県岩国市<国道2号線>広島県東広島市八本松<国道2号線>広島県尾道市<国道2号線>
岡山県倉敷市<国道2号線><岡山県道61号線><岡山県道162号線><岡山県道21号線>ホテル
8月23日 ホテル<国道250号線><国道2号線>兵庫県相生市<国道2号線>兵庫県神戸市須磨区<国道2号線>
<国道171号線>大阪府茨木市<国道171号線><国道1号線> 東寺/二条城/京都市役所/京都御苑
<国道1号線>滋賀県大津市<国道1号線><国道8号線>滋賀県米原市
<国道21号線><国道21号線岐大バイパス>岐阜県美濃加茂市<国道41号線>岐阜県河辺町
<国道418号線><岐阜県道353号線><国道418号線丸山バイパス><岐阜県道353号線><岐阜県道412号線><岐阜県道409号線><岐阜県道72号線>恵那駅<国道19号線>ホテル泊(中津川駅付近)
8月24日 ホテル泊<国道19号線>目覚ノ床<国道19号線>長野県塩尻市
<国道20号線><国道20号線下諏訪岡谷バイパス><国道142号線>和田峠<国道142号線>
長野県佐久市<国道141号線><国道18号線>碓氷峠(バイパス)<国道18号線>群馬県安中市<国道17号線>群馬県前橋市<国道50号線>群馬県桐生市<群馬県道67号線>栃木県足利市<国道293号線>
栃木県さくら市<国道4号線>宮城県白石市<宮城県道50号線>宮城県大河原町<国道4号線>
<宮城県道39号線><宮城県道258号線>仙台

今回の合宿の最大の目的は、「原付で東京まで行った先輩がいた」という伝説を破ること。
私は通学のために入学当初から原付に乗り、あちこち乗り回していました。そんな私に先輩方が話してくださったのが上の伝説です。この先輩は秋田にも原付で行かれたそうで、当会における原付ツーリング最高記録保持者でした。
「それならば新たな伝説を作ろう」ということで、ツーリング経験者の友人の助言と後押しもあり、この合宿を決行したのです。
行程紹介に入る前に、今回の相棒となる原付スクーターについて紹介します。

BA-AF62型 ホンダ Dio 年式:不明
エンジン:AF61E 空冷4ストロークOHC単気筒(キャブレター)
エンジン出力:3.8ps/8,000rpm 0.38kg・m/6,500rpm
全長×全幅×全高(mm):1720×630×1020

見ていただければわかるように、いたって普通の原付です。むしろ他社の原付スクーターよりパワーと冷却の面で見劣りします。最高速度も時速57kmが精いっぱい。空冷なのでオーバーヒートを防ぐために、一時間おきに休憩のおまけつき。そのため行程を急ぐあまり道中の写真がとても少なくなってしまいました。文字ばかりの報告になってしまいますが、どうかお付き合い願います。

8月19日
合宿一日目、今日の目的地は富山県高岡市です。仙台からの距離は500kmとちょっと。今日中に到着するために、午前5時に仙台を出ました。その後は白石から国道113号線に入り、ひたすら新潟県胎内市を目指します。
途中道の駅小国で小休止していると、日曜日ということもありツーリングのバイクが何台も入ってきました。駐輪場の隅の原付が、これから津和野に行こうとしてるなんて彼らは思いもよらなかったでしょう。
順調に113号を抜け、国道7号線に入ります。中心部は混雑すると考え、新潟市内は通らずに新発田駅前を通過し、国道460号で三条方面にぬけることにしました。
新潟市南区で国道8号線に入り、長岡、柏崎を抜け、信越本線鯨波駅に立ち寄ってみました。列車もバスもあまり来ないようです。本日初めての日本海で、深みを持った青が印象的でした。

信越本線鯨波駅
鯨波駅前の柏崎観光バス時刻表

隣りの青海川駅にも行ってきましたが、こちらはカレンダーやポスターで見るあの風景を見に行くため。駅前が海水浴場になっていて、楽しげな声が高台にいる私のことを砂浜へと誘っていました。

集落の生活道路から撮影。

直江津までは大きな峠もなく、快調に走ることができました。直江津からは海岸沿いを走り、旧北陸本線の遺構を横目に見ながら糸魚川へ向かいます。

旧北陸本線長浜トンネル。現在は新潟県道542号上越糸魚川自転車道線に転用されている
付近にあった渋すぎるバス停
さてここからが本日の目玉、全国にその名を轟かす天剣「親不知」です。土砂災害の危険から北陸本線は内陸に長大トンネルをいくつも掘り、北陸自動車道は活路を空中に求め海上を通過します。しかし我らが国道8号は、延々と続く落石覆いと勾配付き急曲線を繰り返して難所を切り抜けるというアツイ道なのです。どれくらいアツイかというと、一級国道なのに一部区間の制限速度が30km/h!しかも車の流れは私の原付で余裕をもってついていけるほど。そしてそこを何台もの大型トラックが行きかうのです。また、この区間は北陸本線旧線の遺構もいくつかあり、鉄道からの視点で見ても興味深い区間です。
あまりの遅さに面白い事態も発生しました。親不知に入る直前で私を抜かしたホンダCBR600RRと、一緒にツーリングしているような状態になってしまったのです。かたやレーシングマシンの血筋を持つスーパースポーツモデル、かたやその排気量の十分の一にも満たない日常の足。珍妙なホンダ車コンビのツーリングは私が市振の道の駅に入るまで続きました。
 富山市で少し寄り道して、富山ライトレールに乗車。岩瀬浜まで行って、すぐに折り返して帰ります。観光もしたかったのですが、今回の旅行は時間が無いので断念しました。

岩瀬浜駅にて

その後、高岡市の北陸健康センター「アラピア」で一泊しました。

8月20日
2日目の目的地は鳥取市です。高岡市から再び国道8号線で敦賀を目指します。倶利伽羅峠までは順調に走れたのですが、金沢バイパス、小松バイパスと高規格道路が続き、私はしばらく路肩の人となりました。福井市で朝の混雑に巻きこまれますが、四輪車と二輪車で異なる停止線のおかげで、スムーズに通過することができました。
越前市を通過中に北陸本線旧線を通ることを思いついたので、予定を変更して今庄経由としました。

北陸本線南今庄駅付近にて。ここから旧線が分岐していました。

福井県道207号線として転用された区間を、大桐駅、山中信号場跡と順調に進みます。

大桐駅跡にて。原付とともに。
鉄道らしい緩やかなカーブを描きながら、道は峠を目指し登ってゆきます。
中山トンネル今庄方坑口。左は山中信号所の突込線。トンネル自体は直線で、1km先の出口が見えていました。
旧線から見た敦賀湾です

25‰勾配と、1kmを超える明治の廃隧道を体験できたのは原付の旅ならではのこと。隧道内部は外より遥かに涼しくて快適でした。しかし杉津から国道8号に降りてしまったので、葉原トンネル通過という宿題ができてしまいました。
 敦賀からは舞鶴を通り福知山に抜け、国道9号に入ります。福知山市のガソリンスタンドでおばちゃんに話しかけられ、「太白区ってなんて読むの?」と聞かれました。その後は但馬地方を走り抜け、鳥取砂丘に向かいました。

鳥取砂丘の頂上から海を見る。
この日は快晴ということもあり、まるで異国のような風景が広がっていた。

鳥取砂丘でひとしきり遊んだ後、鳥取駅前のホテルがこの日の宿です。
チェックインしてから鳥取駅前をぶらぶらしていました。鳥取駅は高架ですが、架線がないため開放感があります。しばらく眺めていると、キハ187が凄まじい加速を見せつけながら出発していきました。やっぱりディーゼルカーはいいですね。車両が「頑張っている」のがわかりやすいからだと思います。

8月21日
合宿当日、今日は観光したい場所がいくつもあるので9号線を急ぎます。鳥取から大山市にかけては岬と浜が交互に現れ、日の出の太陽に照らされて大変綺麗でした。米子で朝食を摂り、安来市を抜けて松江市に入ると「黄泉比良坂」の文字が!樹なつみ氏の「八雲立つ」を読んだことのある私としては、「これは行くしかない!」ということで寄り道することに。最初は写真の岩があるところが坂だと思っていたのですが、何気なく往復した林の中の小径が実は黄泉比良坂でした。薄暗い林の中に一人だけだったので、かなり不気味に感じました。

私が黄泉比良坂だと勘違いしていた場所。

次は出雲大社です。ここ出雲大社では偶然にも無口氏と仮殿前で会いました。

一畑電鉄出雲大社前駅の、裏道の風景。
出雲大社
御仮殿。実はこの時点で無口氏が写りこんでいました。

ひとしきり境内を歩き回ったあと、岡見に向かいます。ここは中国電力三隅火力発電所により山陰本線のルート変更が行われた区間で、旧線は一部が発電所専用線に転用され今も貨物列車が運行されています。

三隅火力発電所は石炭を燃料としています。
これは選炭及び貯蔵のための施設です。
現在発電所専用線として使われている区間です。

ボイラー建屋と煙突の太さが良い緊張感を生み出していて、大変美しい発電所でした。ちなみにこの発電所の出力は100万kwで、国内の発電所では最大規模です。

順調に行程は進み、津和野には午後4時前に到着することができました。津和野といえばこの人、森鴎外の記念館と生家を見学し、オイル交換をすることに。運よく近くにバイク店があったので、そこで交換することにしました。交換終了後まだ集合時間まで余裕があるので、津和野城跡に登ります。
頂上付近までリフトがあるのですが、時間が遅かったので営業していませんでした。仕方がないので1kmほどの山道を登って、出丸、本丸と見学してきました。

津和野城本丸跡から眺めた街並み

 下山してコンビニに立ち寄ると再び無口氏と遭遇!集合時間まで稲荷神社で休憩して、無事集合時間に間に合いました。

8月22日
4日目は岩国に抜け、国道2号線をひたすら東へ向かうルートとしました。帰りは行きの時より100km近く距離が延びるので、寄り道せずに走りました。錦帯橋をスルー、宮島をスルー、原爆ドームをスルー、尾道をスルー・・・地道に仙台への距離を縮めます。
途中瀬野八を通過しましたが、貨物列車が苦戦するこの区間を国道は70kmオーバーのスピードで流れていきます。勾配に対する鉄道の弱さが如実に表れていた区間でした。もちろん私も苦戦していました。
結局この日は都市部の流れの悪さに阻まれ、思うように距離を稼げませんでした。なので作戦変更、岡山で早めの宿を取って未明に出発することに。チェックインは18時、就寝は20時、起床2時という早寝早起き作戦です。夕飯は近くの「えびすらーめん」でとりました。ここのつけ麺は濃厚な魚介系のつけだれが特徴で、おいしくいただきました。

8月23日
 5日目はまだ日も出ない3時前から活動開始です。上郡、姫路をトラックとともに通過。神戸市須磨区に入るあたりで日が昇ってきました。空は快晴。近畿は今日も暑くなりそうです。この区間は海のすぐ近くを通るので、朝日に輝く水面がとても印象に残りました。
その後三宮市で国道171号線に移り、伊丹市、茨木市を通って京都を目指します。茨木市で通勤ラッシュに巻き込まれているときに感じたことですが、原付二種の割合が高いですね。また250ccクラスのスクーターではスズキ・スカイウェーブ(改造済)も多く見かけました。
9時半頃京都市に入り、東大寺を通過して国道1号線に入ります。北上し堀川五条で右折するのが正解ですが、直進してしまい二条城前を通ったところで間違いに気づきました。右折し進路を南転、京都御苑を左手に見ながら烏丸五条で1号に復帰しました。
結局京都市内をまったく観光せずに通過、旧東海道本線逢坂山トンネルも気になってはいましたが立ち寄る余裕もありませんでした。
大津市を通過、2日ぶりの国道8号で鉄道技術総合研究所をかすめながら米原で国道21号線に入りました。そして関ヶ原を越え、いよいよ岐阜県に到達。大垣からは岐大バイパスで濃尾平野を快走、各務原の航空自衛隊岐阜基地を右手に見ながら美濃加茂市へと分け入っていきます。岐大バイパスでは巨大な信号機に驚かされました。
ここから私は大きなミスを犯します。素直に国道21号をたどり国道19号に行けばいいものを、「大型車に追い立てられるのはもう嫌だ」という理由から国道418号線を通るルートを選択してしまったのです。この国道、合宿後に調べてみると、インターネット上では「酷道」の誉れ高い道路・・・。八百津町中心部はまだ普通の地方国道の顔をしていましたが、杉原千畝記念館付近から木曽川沿いの旧道に入り込むと状況が一変します。
そこは国道と呼ぶことをためらう道で、普通乗用車でも離合困難な道幅、コンクリート吹付のみの照明がないトンネル、路上にところどころある落石が私の不安を煽ります。

国道418号線にあった吊り橋

極めつけが「この先全面通行止め」の表示でした。幸い山の方へ県道が伸びていてそちらは通行できたので助かりましたが、そこには「ようこそ潮見地区へ あと9km」・・・遠い。急坂と折り返しが続く、しばらく車が通っていなさそうな道をぬけて418号のバイパスへと何とか復帰しました。

恵那市飯地地区で見つけた看板

復帰後は道路工事の人達に道を教えてもらい、本郷地区、篠原地区、飯地地区を通り何とか伊那市中心部に辿り着くことができました。この時点で17時30分、起きてから15時間経過していました。明日のことを考えると今日のうちに109km先の塩尻まで行きたかったのですが、途中のアクシデントで疲れ切っていたので、中津川に宿をとることにしました。

8月24日
 合宿最終日、昨日と同じく2時30分に中津川を出発し、暗闇の木曽路を塩尻方面に向かいます。「木曽路はすべて山の中である」と島崎藤村が書いたように、右を見ても左を見ても闇。道の両側の反射材と、時折あらわれる信号機のみが光を放っています。中津川から1時間で寝覚の床に着きましたが、当然真っ暗で何も見えませんでした。その後は独走状態で県境の鳥居トンネルを抜け、塩尻で給油するまでスロットル全開で快走します。
塩尻から国道20号線、岡谷で下諏訪岡谷バイパス、そして国道142号線で和田峠を目指します。峠の途中で水戸浪士の墓を見つけました。何百kmも離れた長野県で水戸の2文字を見て、なんだかうれしくなってしまいました。

突然現れた「水戸」の二文字

 ところで和田峠には二本の道路があります。ひとつは新和田トンネルを通過する新和田トンネル有料道路で、もう一つは国道412号線の旧道です。新和田トンネルは延長1922mであり、この長さのトンネルをパワーが出ない状態で大型車と走るのは嫌だったので、またもや怪しげな道の方を選択しました。
 そして標高1500mに位置する和田峠トンネルを通過します。この標高では酸素が薄いのでちょっとした上り坂でも難儀し、最高速度にもなかなか到達しませんでした。

和田峠トンネル和田宿方坑口

 この下りで私は転倒してしまいました。タイヤの外側を使おうと車体を傾けながら走行していたところ、荒れた路面にタイヤを取られてカーブ外側の土崖にぶつかってしまったのです。幸いにも打撲とヘッドライトの傷だけで済みましたが、しばらく膝の痛みに悩まされることになってしまいました。
和田峠を越えた後は再び1000m級の峠をパスし国道142号を佐久市に向かい、国道141号線で国道18号線へと入ります。朝の軽井沢のすがすがしい空気の中を走り抜けて、いよいよ今日三回目の標高1000m越え、碓氷峠です。しかし残念ながらバイパスを通ってしまったので、眼鏡橋を見ることができませんでした。碓氷鉄道文化村も開園していないので、ただ横を通りすぎるだけです。かなりもったいないことをしてしまいました。ぜひ再訪したい場所です。
群馬県に入ってからは、安中市、高崎市、前橋市を抜けて、国道50号線を走ります。この道をずっと行けば故郷茨城に帰れますが、今日の目的地は仙台。まだまだゴールは見えてきません。
足利から国道293号線で鹿沼を通り、さくら市で国道4号線にはいりました。4号に入る直前、遠く筑波山が霞の中に見えていました。麗しの紫峰から元気をもらい、国道4号をひたすら北上します。
那須周辺は工場が多いため車の流れはゆるやかなのですが、福島県に入ると一気に速くなります。また最終日となると私の尻にもダメージが蓄積されてきて、一時間以上連続して運転していられなくなりました。一時間ごとの休憩が、エンジンのためだけではなくなってしまったのです。
順調に郡山市のあさかバイパスまで走りましたが、ここから福島までとても遠く感じました。そして二本松からは恐怖の福島バイパスです。約14kmにわたり信号がない高速道路のような道を、延々走っていくのはかなり神経をすり減らしました。
福島市街地も意外と広く、阿武隈急行線の福島学院前駅付近からやっと流れがよくなります。伊達市、桑折町、国見町を順調に抜けて仙台への距離が着々と縮まってきます。そして5月に訪れて以来の貝田宿を通過、東北自動車道をくぐり、4日ぶりの宮城県です。越河宿と馬牛沼を左手に見て、やっと国道113号との立体交差まで戻ってきました。ここから仙台まで約50km、あと一息です。白石からは県道50号線に入り槻木で国道4号を僅かに走った後、岩沼で県道39号線へ左折して名取市に入ります。その後県道126号線で太白区の自宅に無事帰りました。
今回の合宿の総走行距離は約2700kmとなり、無事に当会の伝説を塗り替えることができました。
ガイシの合宿報告は以上です。最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。