今回の合宿地は、鹿児島県鹿児島市。
合宿の旅程などを、参加者ごとに紹介します。
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参加者 朝里
飛北
羽越
ことでん
アルプス
ガイシ
JLXQ
キマロキ
サンポート
青ガエル
グラシア
TJライナー
キハ52
よっしー
ハノ10
ふとしたことから、twitter上でフェリーのみを使った合宿が出来ないかという事になり、検討を進めたところ、東京始発であれば可能であることが判明。私は実家生なので、そちらのルートは他の人に任せる事とし、仙台出発で、フェリーを最大限に使って愛車と鹿児島を目指すプランに方針を変えました。行程に道路名が書いてあるところは基本的に自転車による移動です。道路名は大まかなものを表示しています。
8月24日 | 自宅<宮城県道137・23・10号>仙台港フェリーターミナル<太平洋フェリー きそ>船中泊 |
9時ごろに自宅を出発。前日通過した低気圧に伴う西風に乗せられて快調なペースで、産業道路経由で多賀城へ行きスーパーでこの日の昼食を調達。併設の書店で暇つぶしの小説を購入するなどして時間を潰し、10時半ごろフェリーターミナルへ向かうと、既に乗船予定のきそが到着しており、同じ船に乗り合わせるガイシ氏のオートバイも駐輪してありました。
ガイシ氏のバイクの隣に自分のロードバイクを駐輪し、フェリーターミナルの建屋内でガイシ氏と合流。程無くして乗船手続きが始まり、共に手続きを済ませて、暫し待合室で談笑に耽ります。 12頃から乗船が始まりましたが、この日は二輪車は自動車の後になりました。突風によるアクシデントもありましたが、12時20分ごろには乗船。ガイシ氏とデッキに出てタグボートによる出港の様子をながめます。
この日は震災から4年目であった為、船内では地震の発生時刻に黙祷と献花が行われており、私も昼食をとった後に参加。
その後船室で寛いでいると客船の様な船が見えたので、デッキに出て確認すると、苫小牧と大洗を結ぶ商船三井フェリーのさんふらわあでした。後で更に調べたところ、運行ダイヤから見て「さんふらわあ だいせつ」のようです。
夕食はマーメードクラブでビーフカレー。値段の割には量も多く、どこかの学食と違って具もちゃんと入っていました。入浴した後に、ガイシ氏の提案で北海道限定販売のサッポロクラシックで旅の無事を祈り乾杯。
8月25日 | 船中泊<太平洋フェリー きそ>名古屋港フェリーターミナル<国道23号>桑名<国道1号>四日市<国道1号>亀山<国道1号>関<国道25号>伊賀上野(ホテル泊) |
6時半ごろに起床し、7時丁度にガイシ氏と船内レストランへ向かい、朝食バイキングで名古屋港から90?走る為の燃料を補給。
船室に戻って下船の支度をしていると、窓から中部国際空港が見え、名古屋港が近い事を感じさせました。
30分前に出て火力発電所を見ながら下船を待とうとのガイシ氏の提案により、10時ごろから甲板後部の車両甲板へと降りるエレベータの前で、船の着岸の様子や凄まじい黒煙を撒き散らしている浚渫船を見ながら待機。車両甲板へ降りて荷物をキャリアに取り付け、下船すると定時よりやや早い10時27分でした。
ガイシ氏とはここで別れ、こちらは一旦国道23号に出ます。
この国道23号の四日市までの区間は国道1号のバイパスという位置付けなのか、大型トラックの通行も多く、自転車通行可となっている歩道もところどころ消滅するうえ細かい砂利やゴミが多く、あまり自転車にはありがたくない道です。
そんな道を走ること約十キロ、三重県に入ります。
更に走ること数キロで木曾川を渡り切ると、車の多さに嫌気が差したこともあり、国道23号に別れを告げて県道に入り、桑名の市街地へ。
桑名で国道1号に入り、再び西進。富田駅前の信号で偶然停まったところ、丁度三岐鉄道の電気機関車が見えたのでちょっと寄り道して写真を1枚。
四日市に差し掛かったあたりで昼食にしようかと考えていたものの、適当な店を見つけられず、結局四日市街のはずれにあるスーパーでおにぎりを買って食べる事に。丁度近くを日本では残り少ないナローゲージの鉄道として有名な近鉄内部線が走っているので、少し脇道にそれて線路端に出て、おにぎりをかじりつつ列車が来るのを待って撮影。
一休みの後、国道1号に復帰して亀山方面へと西進。ここまではほぼ平坦であったものの、この辺りから緩やかとはいえアップダウンが増え始め、折からの向い風もあって苦しい状況。しかし、日暮前には峠を越えなければ危険を伴うので、巡航速度20?/h台前半で耐えます。
1時間半ほど走って亀山でコンビニに入り、峠越えに備えて飲み物を補給した後、更に30分ほど走って関西本線関駅に隣接する「道の駅関宿」で小休止。峠越えでハンガーノックにやられない様、四日市のスーパーで買っておいたおはぎを食べて一息入れます。
道の駅を16時前に出発し、国道1号から国道25(大和街道)に入ります。暫くすると、2ケタ国道だというのに何と中央線が消滅。しかしこれはほんの序の口にすぎない事が後程明らかになります。
国道25号に平行する関西本線は、今でこそ1両のディーゼルカーが行き来する様なローカル線ですが、かつては関西鉄道という私鉄であり、官設鉄道(のちの国鉄)と名阪間で競い合った歴史を持っています。国有化後もC51やC57、D51などの本線用クラスの機関車が走っていた為か橋梁などの設備は立派な物であったのが印象に残りました。
できればそんな関西本線の列車を1〜2本撮影したかったのですが、谷間を走る線路には日の当たらない時間であり、うかうかしていると峠越えを前に日が沈んでしまいそうだったので、国道25号を楽しむことに専念する事にしました。
加太板屋にある、そのまま直進すると県道に入ってしまう分岐を右に折れると、バスがギリギリ通れる様な道幅で集落の中を抜けてゆきます。
煉瓦積みの風格ある関西本線のアーチ橋の下をくぐると周囲に家もなくなり、いよいよ本格的な山越えとなります。
ここから峠までの区間がこの日のハイライトともいける区間で、2桁国道だというのに舗装が消滅してしまいます。
ダート区間は500m程で終わりますが、その後も狭いつづら折りの道が続き、中央線が姿を現したのは、峠も近付いてからでした。自専道の新道があるとはいえ、2ケタの国道としては想像を超える程整備の進んでいない道でしたが、車通りは少なく、ダートも締まっていて比較的走りやすく自転車には快適な道だったと思います。
峠を越えるとあとは下りなので30?/h近くで巡航しながら20?ほど走って、伊賀上野にあるこの日の宿に到着。
8月26日 | 伊賀上野<国道163号>木津川<国道163号>門真<国道163・1・479号等>住之江<住之江通等>大阪南港かもめフェリーターミナル<フェリーさんふらわあ きりしま>船中泊 |
ホテルで朝食をとった後、7時半過ぎに出発。出発前に確認した天気予報では、この日の最低気温は氷点下を下回ったとの事で、霜が降りている場所もありました。そのため、仙台で着るために用意した防寒装備をここでも使う事になりました。
上野盆地の端まで来たところで体が温まったので、防寒装備を一部脱ぎひと山越え、国道163号の旧道と思われる道を4?ほど走り島ヶ原に到着。木津川に架かる古めかしいアーチトラスが印象的でした。
今回は荷物を軽量とする為、時刻表を携帯していなかったため、時刻を調べるために島ヶ原駅に寄り道。関西本線がJR化前に幹線としての役割ほぼを終えてしまったからか、駅構内には今にも蒸気機関車が列車を牽いて現れそうな雰囲気がありました。
島ヶ原の集落のはずれで国道163号の現道に復帰し、途中で休憩をはさみつつ木津へ。結局関西本線の列車は時間が合わず、この日も撮影できませんでした。ここで一旦国道から外れて木津の町中をショートカットし、南側を大回りしてきた163号に復帰した後、近鉄の線路をオーバークロス。予定にはなかったものの折角通ったので少し待って跨線橋の上から数本列車を撮ってみました。
線路を乗り越すと国道は山田川に沿って登ってゆき、3?ほどで奈良県生駒市へ。この日の行程も残り半分となります。
アップダウンを繰り返しつつ標高をさらに上げ進むこと5?強で大阪府四条畷市に入り、ようやくこの日の山越え区間も終わりに近づきます。清滝峠の下に穿たれた清滝トンネルは流れに乗れる自信がなかったので歩道を通行。路面上の砂利は少し気になったものの無事通過する事が出来ました。
清滝トンネルの出口から平野までは160mの標高差があり、また道路もさしたる急曲線もない為、この区間であれば流れに乗れると判断し、トンネルを出てすぐに車道に折り、大阪の街を前方に見つつ50?/h程で一気に駆け下ります。
平野に下りて間もなく門真市に入り、そろそろ12時という事でたまたま目についたラーメン屋で昼食。
昼食後再び走り始めて7〜8?で昨日関で別れた国道1号と合流。このあとは暫く今里筋を直進します。この直進する区間が10?ほどと地味に長く、地図の順番を間違えて綴じていたこともあり、ここ何処だよとなりながらも無事予定の国道479号に突き当たり右折。高校1年の時に宿泊したユースホステルのある長居公園の脇を通って住吉区に入り、阪堺電車の車両を少し撮影。沿線には若木とはいえ、もう桜も咲いていたのが印象的でした。
30分ほど写真を撮ったあとはこの日乗船するフェリーが出る大阪南港へ向かいます。
途中で飲み物を買いつつ30分ほどでフェリーターミナルに到着すると、傾きかけた日の光を浴びて大きく太陽のマークが描かれた船が佇んでいました。
この日は時間に余裕があったので手荷物運賃を浮かすため、自転車を解体して輪行袋に仕舞い、乗船まで待ちます。出航の1時間ほど前に乗船が始まり、係員の指示で車両甲板から通路の一角に自転車を置いた後、上の甲板の雑魚寝席に収まりました。
早速大浴場へ行って汗を流したりしている内に時間が過ぎ、18時前に船は鹿児島県志布志港を目指し出港。この日の夕食は名古屋からの2日間の移動で消費したエネルギーを補うべく、船内レストランのバイキングを利用。デザート類が意外と充実していたのが印象的でした。
8月21日 | 船中泊<フェリーさんふらわあ きりしま>志布志フェリーターミナル<国道220号、鹿児島県道68号等>鹿屋鉄道記念館<鹿児島県道68号等>海上自衛隊鹿屋航空基地<国道220号、鹿児島県道550号等>垂水<フェリー第7おおすみ>鴨池<鹿児島県道20号等>ホテル |
9時に予定通り志布志港に到着。下船後に自転車を組み立てて、ひとまず30?ほど先の鹿屋を目指します。
道路沿の菜の花や、棕櫚の木が南九州に来たことを感じさせます。
天気は良く、自転車で走る分には半袖でもいいかなと思うほどではあったものの、思いの他アップダウンがあり、風も向い風で速度はあまり伸びず2時間ほどかかって到着。まずは旧大隅線鹿屋駅跡にある鹿屋市鉄道記念館に向かいます。
記念館に保存されているディーゼルカーの中の広告は廃止当時のものなのか、時代を感じさせるものもあったのが印象的でした。
記念館の展示を見終わった後は、海上自衛隊鹿屋航空基地へと向かい、駆け足ではあったものの史料館を見学。今回合宿では他にも多くの会員の方が史料館を訪れたようなので、解説は他の方に譲ることにします。
見学後近くの観光物産館で昼食をとった後、ことでん氏が部室でプラモデルを組み立て中の二式大艇の実機を眺めてから垂水へ向け出発。
錦江湾へ抜ける山越えは思いの外長く、持っていた飲み物が途中で無くなったりしたものの、無事鹿屋体育大学の脇まで来て、道は下り坂に変わります。
4〜50?/hで下って錦江湾沿いに出ると、大隅線の廃線跡が寄り添ってきました。ここからは湾に沿って走る気持ちの良い道が続きます。
ようやく風が追い風気味となった事もあってここまでやや遅れ気味であったのを回復し、鹿屋出発から1時間ほどで垂水に到着。ここから錦江湾を渡るフェリーで一気に鹿児島市内を目指します。この航路の船は内海しか航行しない為か、車両甲板が吹きさらしになっているのが特徴的だなと思いました。
客室で桜島を眺めたりしている内に鹿児島市に到着。この瞬間を以て、仙台市から鹿児島市までのフェリーと自転車のみでの移動に成功したことになります。
ひとまず宿まで移動して荷物を預け、鹿児島市内をうろうろしていると程よい時間になったので、集合場所の西鹿児島駅へ。宿に戻り先輩方と夕食に出たあとは恒例のルート発表会。OBから1年生まで幅広い年代が参加しただけに様々な移動手段が見られました。
8月22日 | ホテル<徒歩>鹿児島中央<鹿児島・日豊本線 普通>宮崎<日豊本線 普通>延岡<日豊本線 特急「にちりん」14号>佐伯<日豊本線 普通gt;大分<国道197号等>西大分港<フェリーさんふらわあごーるど>船中泊 |
この日は当初の予定では日豊本線の始発で鹿児島を発って延岡から自転車で宗太郎越をし、佐伯から再び電車で大分へ行く予定だったのですが、前日の時点で既に雨の予報が出ていた為予定を変更。9時の宮崎行きで出発し、延岡から佐伯までは特急を使う事にしました。
当日の天気は予報通り雨。自転車は宿で輪行袋に仕舞ってから駅へ移動したため、駅までの移動は意外と難儀でした。傘や自転車に着いた火山灰が、自分が今鹿児島に居るという事を再認識させます。
今回の合宿では荷物を軽くするために、往路で不要な時刻表は持って行かなかったため、朝食と一緒に時刻表を買って予定の宮崎行きに乗車。
錦江湾沿いから山へと入って行ったあとは都城までの区間は殆ど山間で、その昔D51が入線できずに仕方なくC57に貨物列車を引かせていたというのも何となく納得がいく気がしました。
宮崎到着後ちょっと改札外に出てボンタンアメを購入。
乗り継ぎ列車の出発時間を勘違いし、危うく乗り遅れるところでしたが幸い間に合って延岡行に乗車。途中沿線にあるリニアモーターカーの実験線跡を通りがかった際に、「東北大学」と書かれているのを確認(エアロトレインの研究を行っている)。ところで「Mg太陽炉」って何でしょうね?
延岡からは特急「にちりん」14号に乗車。車両は787系でしたが、かつて「つばめ」として鹿児島本線を走っていたころよりも車体の外観には傷みが目立つように感じました。そんな787系ですが車内にはかつてつばめとして活躍したころの名残と思われるマークがみられました。
この頃には雨も上がり薄日が差し始めていましたが、路面は依然としてウェットで予定の変更はどうやら正解だった様です。線形が悪いのか、特急と謂えども列車は7〜80?/h位でゆっくりと山間を走ってゆきます。天候のため仕方ないとはいえ、やっぱり自転車で走ってみたかったなと思いつつ1時間ちょっとで佐伯に到着。駅の売店で昼飯をかって待合室で食べていると、既に列車が入線している様なので、普通大神行きに乗車。
大分到着後まだフェリーの出航まで時間がある様なので、大分駅前の公園にあるC55を見るべく、最寄りの西大分ではなく大分で下車。しかし、大分駅で自転車を組立て中に自転車の鍵を落としたのか、自転車に施錠できなくなってしまい自転車を下手に離れられなくなったため、フェリーターミナルへ直行。
元々は往路と同じ雑魚寝席の予定でしたが、往路のきりしま乗船時に無料アップグレード券を貰っていたので、早速使ってみるとテレビ、洗面所付の1人部屋に案内されてびっくり。個室なら自転車持ち込み可との事だったので、自転車を持ち込んでいたにも拘らず十分な広さで、往復で1万円を切るような格安プランで乗船しているのが申し訳なく感じるほどでした。
8月23日 | 船中泊<フェリーさんふらわあごーるど>神戸港<国道2号等>住吉<東海道本線 快速>高槻<東海道本線 新快速>草津<東海道本線 普通>米原<東海道本線 普通>大垣<東海道本線 新快速>名古屋<名古屋市道環状線>名古屋港フェリーターミナル<太平洋フェリー きそ>船中泊 |
5時ごろに起床し、5時半からの船内レストランでの朝食バイキングへ。この時点でまだ部室向けのお土産を決めていなかったので、待ち時間に売店を眺めて見繕っておきました。
時間になって朝食をとっていると、右舷前方を並んで航行する客船が見えてきました。瀬戸内海は多くのフェリー航路が有るのですが、船体に大きく描かれた赤い太陽のマークで、いま乗っているさんふらわあの僚船と一目でわかります。
神戸港に到着後、次々とバスに乗り込んでゆく他の下船客たちを横目に自転車を組み立て出発。六甲アイランドから自転車が通れる唯一の橋を渡って、港のある島から出て国道2号へ。数百メートル走って東海道本線の住吉駅に到着。
自転車を再び解体し、ここからは東海道本線の列車を乗り継いで名古屋を目指します。車内は輪行するのは出来れば避けた方が良いなというほどの混雑でしたが、京都を過ぎると空席も目立つようになりました。
11時過ぎに名古屋駅に到着。事前の調査では構内に手荷物預かり所があるとの事だったのですが、取り扱いをやめてしまったようで自転車は預けられず。代わりの場所を訊こうにも観光案内所は混雑していたため、明治村に行く予定を断念し自転車の鍵を買って名古屋市内を散策する事に。
初コメダなどしつつ名古屋港方面へ向かっていると偶然見つけたのがこの高架橋。
翌日、フェリー内で偶然キマロキ氏とこの話題となり調べてもらったところ、これは名古屋貨物ターミナルへ通じる貨物線の未成線だったことが分かりました。
その後リニア鉄道館のある金城ふ頭まで行ってみたり、ブックオフに行ったりして時間を潰し、フェリーターミナルへ。折しも雨が降り始め早く乗船して風呂に入りたいと思いつつ手続きを済ませ、キマロキ氏と合流。乗船開始を待ちます。
徒歩で乗船のキマロキ氏は一足先に乗船。こちらは遅れること30分ほどの18時半前に乗船し風呂に入った後、予めスーパーで買っておいた夕食を食べて就寝。偶然にも部屋は行きで利用したのと同じ船室でした。
8月22日 | 船中泊<太平洋フェリー きそ>仙台港フェリーターミナル<国道45号等>川内<仙台市道等>自宅 |
キマロキ氏と軽い朝食を食べた後、朝風呂に入ったり部屋でくつろいでいると、左舷前方の白く輝く船が。よく目を凝らしてみると、船体にはここ数日で随分見慣れた感のある太陽のマークが。早速カメラを手にデッキに出て写真を撮影。twitterに投稿したのを見てキマロキ氏も出てきました。これで今回の合宿中さんふらわあの船(九州の航路と北海道の航路は別な会社ですが)を見なかったのは2日目だけになりました。
写真を撮り終ると程よい時間となったのでそのまま昼食に行き、合宿最後の食事を済ませた後は再びデッキに出て福島県の海沿いにある発電所群を洋上から観察。しかし福島第2原発を過ぎたあたりで濃い霧が立ち込め始め、やがて視界は100m位に。予定されていた僚船いしかりとの離合も見られず。結局濃霧は仙台入港まで晴れる事はありませんでした。
仙台港に入ると立ち込めていた霧が嘘のように晴れ、日がさしていました。ここからは幾度となく通った慣れた道。国道45号を快調に走って部室に寄り、お土産を置いて無事帰宅しました。
今回の合宿では若干トラブルがあったものの、前半は天候に恵まれた事もあって、ひとまずは鹿児島まで自転車とフェリーで到達するという目的を達成する事が出来ました。しかし、鍵の紛失で後半の行程に大きな影響が出てしまい、とくに明治村に行けなかったことは悔やまれ、今後気を付けたいところです。
今回は名古屋と大阪という二つの大都市の間を自転車で移動しましたが、今までこの区間は東海道新幹線か東海道本線でしか通り抜けた事がなかったので、移動手段の面だけでなく、全く別の経路を通るという面でも新しい経験であり、自分の中での合宿移動手段のマンネリ化を打ち破れたように思います。その点では自転車を合宿の移動手段に取り入れて3回目にして初めて、その目的を達成できたといえるかもしれません。
今後合宿に参加できる機会はそう多くはないと思いますが、もし機会があれば、また自分らしい行程に組んだルートで旅に出たいと思います。最後に長々とした駄文を読んでくださった皆様、ありがとうございました。