2015年 春合宿

今回の合宿地は、鹿児島県鹿児島市。


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合宿の旅程などを、参加者ごとに紹介します。
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参加者 朝里  飛北  羽越  ことでん  アルプス  ガイシ  JLXQ  キマロキ  サンポート
 青ガエル  グラシア  TJライナー  キハ52  よっしー  ハノ10

キハ52



 試験期間終了後、地元に戻り自車校へ。無事、MT免許を取得しました。その関係から、今回の合宿は実家に始まり実家に終わります。なお、実家の最寄り駅は山形鉄道長井駅となっております。


3月11日 実家〈車〉今泉〈米坂線〉米沢〈山形線〉福島〈東北本線〉郡山〈東北本線〉黒磯〈宇都宮線〉宇都宮〈宇都宮線〉小山〈両毛線〉高崎〈八高線〉高麗川〈川越線〉 川越〈埼京・川越線通勤快速〉赤羽〈京浜東北線〉上野〈高崎線〉尾久〈宇都宮線〉上野〈山手線〉神田〈山手線〉東京〈寝台特急サンライズ出雲(車中泊)〉


 当初は一目北越の最期を見に新潟経由にする予定だったのですが、前日新潟エリアにいた某氏が大幅遅延でえらい目にあっていたことから、新潟を回ってよいものか出発の直前まで迷いました。
 そして朝5時ごろ、JR東日本のサイトを見てみると…
 特急いなほ……全列車全区間運休
 特急北越………全列車全区間運休
 寝台特急トワイライトエクスプレス……全区間運休
……………………………………………新潟経由、中止決定。せっかくなので、未乗区間である、両毛線と八高線(非電化区間)に乗ることにしました。
 長井駅から山形鉄道に乗ればよかったのですが、前日の寒波の影響で雪が大量に積もっており、時庭辺りで発車に手間取って遅延すると、今泉駅で乗り継ぎが3分しかなく、しかも、この時間の列車は(40分後に後続列車が来るため)待ってくれないので雪で遅れるとアウト、ということで、母親の車で送ってもらいました。
 今泉駅が早朝無人となるため、米沢駅でJR東日本の日付印をGET。
 経路は上記の通りなのですが、寒波の影響は山形県内にも出ており、福島行の山形線は9分遅延しました。経験から、福島から先は混んでいることがわかっていたので、当初から座るのは諦めていました。運よく金谷川から座れましたが…。郡山からは、719系の、いわゆる前面展望席に座りました。
 黒磯からは、埼京線から転属した方の湘南色205系に乗車できました。乗ったらほとんど同じだろというツッコミはご遠慮くださいw

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 車窓を眺めていると、沿線には撮り鉄が目立ちました。北斗星はとっくに行ったよな?と思いつつ、宇都宮に到着。乗り換えて小山へ。気になったのでネットで調べたところ、上り北斗星が大幅に遅延しているとのことでした。
小山駅に着いたのは、11時40分ごろでした。そして5分後、北斗星が通過していきました。すかさずデジカメで動画を撮影。平日の昼だということもあって、他に撮影者はいませんでした。ちなみにこの後、「リゾートエクスプレスゆう」が通過するのですが、ホームできつねうどんを食べており撮影できませんでした(汗)
 小山から、115系に揺られて高崎へ。

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 そういえば途中の伊勢崎は「日常」の聖地でしたね。あ、今回は時間の都合で聖地巡礼はありません。鹿児島遠いですからね。許してヒヤシンス(ペロ
高崎からは八高線に。八高線って「整理券」のことを「乗車駅証明書」って言うんですね。それとも、駅で発行できるモノの方を指しているのでしょうか…? 何分田舎者なもので、首都圏のワンマン運転事情はわかりませぬ…。それにしても、首都圏でキハ110が運用されていることに違和感。キハ110には地方都市か田舎が似合…おっと、誰か来たようだ。
 高麗川からは、三セクからJRに逆輸入されたという209系3100番台に乗車しました。

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 しかし、川越駅手前で踏切の障害物検知装置が反応し、緊急停車。 このとき私は、前面展望を見ていたのですが、特に異常は見られませんでした。強いて言えば、停まった後、踏切のはるか手前を、ぬこが横切っていったことくらいでしょうか…。
川越から新宿行の通勤快速に乗車しました。大宮を出ると、新幹線との並走区間では武蔵浦和と赤羽しか停まらないという設定です。
実はこの列車、時刻表を見ていていつか乗ってみたいと思っていました。今回は、夕方に都心に向かう列車であったため、車内はすいていました。赤羽まで、E233系の 快走を堪能した後、赤羽で下車し、京浜東北線に乗り換えました。
 すぐに宇都宮線で尾久に行ってもよかったのですが、時間があること、王子経由のルートが未乗だったので京浜東北線にしました。 その後、北斗星を撮るため上野から尾久へ。一応30分前に場所取りをしたのですが、結局、自分がいた周辺での撮影者は、私を含めて4人しかいませんでした。本当に穴場なんですね…。
 19時10分ごろ、無事、北斗星を動画に収め、上野に戻ろうとすると、「次の1番線の電車は、19時23分発、普通上野行きです」。
………………………13分後!?さっきまで5分おきくらいに来ていたのに!?実は寒い中30分も突っ立っていたせいで、体が凍えかけていたのです。地元では10分程度の待ち時間は当然のものだと思えるのですが、首都圏に来ると10分って心理的に長いんですよね…みなさんはどうですか?
 夕食をとるために下車した神田駅の路線図には、すでに「上野東京ライン」の文字が。開業まであと3日というところでした。 鹿児島から帰ってくるときには開業しているのだな、としみじみ思いつつ、東京駅へ。
 東京駅では、「長野」新幹線の表記がシールになっていました。「長野新幹線」という呼称も、忘れられていくんだろうなぁ…
 しばらく、間もなく東海道本線を引退して総武・横須賀線に戻るE217系や、ストライプ185系を撮影していると、サンライズが入って来ました。
サンライズっていっても、カエルみたいな宇宙人とか戦国時代の半妖の少年とかグループ名が石鹸みたいなスクールアイドルとか関係ないですよ。
 今回はB個室シングルを取りました。三島辺りまでは起きていようと思ったのですが、鏡を見てみると、目の充血がひどかったので、丹那トンネルに入ったころに目薬を差して寝ました。

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3月12日 出雲市〈徒歩〉電鉄出雲市〈一畑電車北松江線〉川跡〈一畑電車大社線〉出雲大社前〈一畑電車大社線〉川跡〈一畑電車北松江線〉 松江しんじ湖温泉〈一畑バス〉松江駅前〈徒歩〉宍道湖〈徒歩〉松江〈山陰本線〉米子〈徒歩〉ビジネスホテル

 岡山に着く直前に起床し、伯備線に入ったころに朝食をとりました。伯備線内は私が乗っていた進行方向左側に川があったので車窓はよかったのですが、山陰本線に入ると宍道湖と反対側になるので、宍道湖は翌日のお楽しみということになりました。
 出雲市に着き、サンライズの回送を見届けた後、一畑電車で出雲大社に向かいました。電鉄出雲市から、1発目で元南海車に当たりました。
出雲大社に参拝、出雲そばを食べた後は、島根県立古代出雲歴史博物館に行きました。展示物をじっくり眺めているうちに、いつの間にか2時間ほど経過していました。

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 これ以上いると、宍道湖の日没に間に合わなくなるので切り上げ。出雲大社前駅に戻り、松江しんじ湖温泉に向かいました。川跡からは、運転を開始して間もない1000系に乗車しました。
 松江しんじ湖温泉から松江駅までバスで行き、山陰本線のどこかの駅から宍道湖の日没を見ようと思っていたのですが、バスの車窓から、よさそうな場所を見つけたのでそちらまで徒歩で行くことにしました。 行ってみると、松江湖畔公園(白潟公園)という場所だったようです。ここで日没までの20分間、夕陽を眺めていました。

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 松江駅に戻り、ここから山陰本線で米子に向かいます。乗った列車が伯備線直通の岡山行きだったため、末期色の115系が来ました。そしてこの切妻顔である。


 \まな板にしようぜ!/

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 米子に着いた後、いろいろ撮影していると、あと20分で上りのサンライズ出雲が来るようだったのですが、寒いので撮影は諦めました。
ホテルに向かう途中、カレー食べたいなーと思って街を歩いていたら、ちょうど、「当たり前田のクラッカー」とか言いたくなるような名前のカレー屋があったので そこで夕食をとりました。(※一応私は当時20歳です。)
その後ホテルに着き、この日の行程を終えました。



3月13日 ビジネスホテル〈徒歩〉米子〈山陰本線 快速〉益田〈山口線〉山口〈山口線〉新山口〈山陽本線〉下関〈山陽本線〉 門司〈鹿児島本線〉門司港〈鹿児島本線〉大牟田〈鹿児島本線〉八代〈徒歩〉ビジネスホテル

 朝6時という早い時間帯にホテルを出発し、米子駅でJR西日本の日付印をGET。米子から益田まで約4時間、快速アクアライナーに揺られます。三江線が分岐する江津から、 相席になった地元の方と話をさせていただき、車窓についても解説していただきました。そこで、波子駅に着く前に見えた建物が「島根海洋館アクアス」 という水族館であることを知りました。その方は波子で降りましたが、私が「今日は熊本県の八代まで(鈍行で)行く」と言ったところ、驚いているようでした。

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朝雨が降っていたせいか、窓が結構汚れていたのが残念です。山陰本線で有名なラーメン橋が島根県内にあると思っていたのは内緒です。(実際は山口県にあります)
 益田からは、山陰本線がない時間帯なので、山口線で一気に山陽路へ出ます。一気といっても、普通列車ですが。キハ40朱色ばかりになってますね…。

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誰かさんが仙台から原付で来たという曰くつき(?)の津和野を通り、山口へ。山口からはかなり需要がある区間だと聞いていたので、キハ47系2両とかだろうと思っていたのですが…
 停まっていたのはキハ40系1両。昼時だからでしょうか?それにしても、新幹線の玄関口と県の代表駅をつなぐ路線がこの有様ですか…。 長期休み期間だと、逆に昼時の列車って部活に行く(または帰る)学生が使うので混むんですよね。実際ものすごく混んでいました。
 混雑している列車に乗ること20分、新山口に到着。丁度これから山口に向かう山口線列車が向こうのホームに入って来ました。よく見ると、3両編成。チクショウメェ!
 次に乗る列車のホームを確認するために時刻表を見ていると、丁度、岩国方面から来た下関行が入ってくるところでした。が、その編成を見て愕然。115系ボックス2両って なんだよ…。しかも、先述の通り、益田方面から下関方面に向かうには山口線経由しか走っていない時間帯なので、結構混雑していたようでした。私は昼食にしたかったので、 一本遅らせることにしていました。たまたま通りかかった乗務員の方に、駅そばが食べられる場所を聞き、昼食としました。
 駅そばを食べて、新山口始発の下関行に乗車。こちらは4両編成でした。なお、1両目にいわゆるボロクハが連結されている編成でした。 が、せっかく西日本に来たので転換クロスシートに乗車しました。今回の旅で初の転換クロスシートです。 新山口始発だったこと、岩国方面からの乗り継ぎが無い時間帯だったことから、小月までガラガラで、そこから下関に向かう乗客が増えてくるといった具合でした。

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 下関では、115系の3000番台を横目に、小倉に向かう415系に乗車しました。 以前九州に行ったときは、夜行バスで九州に上陸し、別府から船で九州を出たので、関門トンネルを通りませんでした。(2014年夏合宿報告参照)
というわけで、関門トンネルは初となります。さらに、415系の鋼製車には初乗車となります。

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 同じ海底トンネルである青函トンネルと違い、関門トンネルは短く、 すぐにトンネルを抜けて、デッドセクションを通り門司へ。周波数こそ違いますが、黒磯駅以降、久しぶりの交流区間です。 門司から一度門司港へ。駅前をちょっと散策しましたが、ご存知の通り門司港駅舎は建て替え工事中。もうあの駅舎は見れないのだ…。 門司港からは、大牟田行の快速に乗車しました。時間帯としては、博多で帰宅ラッシュにぶち当たるはずなのですが、来たのは811系8両。てっきり、813系9両が充当される と思っていました。

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 ちなみにこの811系、電動車が門司港寄りに偏っており、大牟田方の先頭車は結構前後に揺れます。
 小倉、博多での席取り合戦に参加しないために門司港から乗った甲斐あって、混雑区間でも座席で悠々と車窓を眺められました。え?途中で日が暮れただろって?知らんな。
この日は長距離運用の列車に乗ることが多かった気がします。米子から八代までかなりの距離のはずですが、あまり乗り換えをした気がしないなぁ。
 夏と同じで、セブンスターななつ星は車両基地でお昼寝中でした。久留米を過ぎ、ガラガラになった夜の車内は旅愁がありました。 大牟田に着いて跨線橋を上がると、TJライナー氏の姿が。どうやら鳥栖から同じ列車だったようです。彼とは熊本で別れ、私はその先、八代に向かいました。
 八代からホテルまでは歩いたのですが、一度スマホの地図の方角を逆と勘違いしていて道を間違えてしまいました。すぐに気付いたのでよかったよかった(汗)。 すでに今朝出た鳥取県の西の端である米子でも十分家から遠いのに、そこからでも遠くまで来たな、と思いました。さて、合宿地の鹿児島まではラストスパートです!


3月14日 ビジネスホテル〈徒歩〉八代〈肥薩線〉人吉(温泉)〈くま川鉄道〉湯前〈くま川鉄道〉人吉(温泉)〈肥薩線〉吉松〈肥薩線〉隼人〈日豊本線〉鹿児島中央〈集合〉

 朝7時にホテルを出発し、八代駅へ。どうやら、青ガエル氏とニアミスしていたようです。私は八代から肥薩線に乗りました。 八代7時53分発の列車は、間合い運用でいさぶろう・しんぺい編成が充当されています。しかし、八代駅の電光掲示板はなぜか「1両」と表記。丁度この日はダイヤ改正だったので、 運用が変わってしまったか!?と思ったのですが、きちんといさぶろう・しんぺいが来ました。表記ミスなのか、デフォなのかは私にはわかりません…。 なお、この日は18きっぷは使いません。

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 間合い運用であるからか、土曜日にしては乗客は少なく、終点の人吉までゆったり乗車しました。肥薩線には「白石」という駅がありますが、白石駅は他に、北海道、 宮城県にもあり、この2つは通ったことがあるので、今回でJR白石駅シリーズはコンプリートとなります。全て、降りたことはないんですけどね(汗)。 人吉までは雨が強く降っており、せっかくの球磨川の風景が台無しクマー…というわけではなく、雨は雨で味がありました。
 人吉に到着する頃には、雨はあがっていました。人吉では、乗り換えに1時間ほどあったので、大村横穴群を見に行きました。しかし、駅から近すぎて時間を持て余して しまい、すぐに駅に戻りました。そして、くま川鉄道で湯前へ。 普通列車もほとんど田園シンフォニーが入っているんですね。乗った編成は、茶色(冬)とクリームがかった白(春)。…チョコレート?(筆者はチョコレート苦手です)。 丁度カウンター席なるものがあったのでそこに座ってみました。

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 湯前から折り返し、あさぎりで本当の田園シンフォニー(全車指定席)とすれ違いましたが、土曜日だというのに乗客数は(お察しください)。がんばれくま川鉄道。
 人吉に戻り、ここからは正真正銘のいさぶろう3号に乗車します。 各駅で停車時間が設けられているので、下車して駅を散策しました。大畑駅の駅舎に夏目友人帳の色紙が置かれていたので後に調べたところ、この辺りが ロケ地(?)として使われていたようです。このときはまだ観ていなかったので、観てから行くべきでしたね…。人吉駅で待ち時間が長かったので少し巡礼できたかもしれません。
大畑のスイッチバック、ループ、矢岳のSL、日本三大車窓、真幸の鐘など、観光スポットをなめまわし、吉松へ。ついに、鹿児島県に入ります。

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 なお、各駅の駅ノートに、別件で九州に行ったはつかり氏が書き込みをしていたそうなのですが、発見できませんでした。
 吉松ではやとの風を見送り、途中下車して駅前を散策した後、隼人行きの普通列車に乗りました。  隼人まではキハ47系2両。ワンマン化改造で撤去されている座席が多く、運転席の後ろが広々としていました。立ってみると何か落ち着きませんねww
 隼人からは日豊本線に乗車します。列車番号から次に乗る列車が気動車だということはわかっていましたが、817系とかが2両か4両で運転されている路線なので、 最低でもキハ47の2両が来ると思っていました。しかし待っていたのは…
 キハ140系1両…。山口線での悪夢再び。当然桜島側なんて座れやしねぇ…。やはり1本遅らせるべきでしたか…
鹿児島中央に着き、集合時刻になったので改札を出て、合流しました。

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 ところで、鹿児島中央駅で気になったことが一つ。以下の写真を見てください。

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 この行先、上からYAMAKAWA(山川)、SENDAI(川内)、SENDAI(川内)となっているのですが、東北民の私には、初見で YAMAGATA(山形)、SENDAI(仙台)、SENDAI(仙台)に見えました。よく考えたら違う文字って子音2つしかないですね。


3月15日 宿〈徒歩〉鹿児島中央〈指宿枕崎線〉枕崎〈鹿児島交通なんてつ線〉伊集院〈鹿児島本線〉鹿児島中央〈徒歩〉鹿児島中央駅前〈鹿児島市電2系統〉鹿児島駅前〈鹿児島市電1系統〉谷山〈鹿児島市電交通局行き〉二軒茶屋〈鹿児島市電1系統〉郡元〈鹿児島市電2系統〉鹿児島中央駅前〈鹿児島交通観光バス桜島号(車中泊)〉


 ルート発表会の後、ぐっすり眠り、目が覚めると既に7時半を回っていました。 既に会員の半数は出発。鹿児島中央駅で、同行したTJライナー氏、ハノ10氏と別れ、朝食をとってからホームへ。先発する指宿のたまて箱を撮影し、発車を待ちます。  車内は混んでいましたが、指宿で過半数の乗客が下車しました。そして、JR最南端の地、西大山へ。あいにくの天気であったため、開聞岳の頂上が見えませんでした。
夏に稚内に行っているので、最南端と最北端を制覇したことになります(JR基準)。そして、枕崎へ。

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 乗客の中には、ここから折り返して、「18きっぷで枕崎から稚内まで行く」という方もいらっしゃいました。何日かかるんですかね…。よい旅を。
 私もここから折り返すつもりだったのですが、往復で乗るのもつまらないと思い、バスで伊集院に出ることにしました。 と、その前に、枕崎といえば、鰹ですよね。
丁度駅前に海鮮料理店があったので、そこで鰹の船人盛り(だったか、メニューの名前がいまいち思い出せません)を食べました。
 次のバスまで1時間ほどあったので、片平山公園まで登りました。ここからは、枕崎の街並みを一望できます。…が、天候は御覧の通り…。

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 時間になったのでバスに乗り伊集院へ。途中、鹿児島交通の遺構を車窓から眺めました。枕崎から乗り通したのは私一人だけでした。

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 テレ朝の某番組で取り上げられた、伊集院駅元1番線の駐車場を見たかったのですが、工事中で機材置き場になっていました。 う〜ん、残念。伊集院からは鹿児島本線で鹿児島中央へ。時刻はまもなく17時ですが、ここで市電の1日乗車券を購入しました。 こんな時間に1日乗車券を販売した観光案内所の係員の心境はいかに…。まず鹿児島駅へ。 鹿児島中央駅と比較して寂れた駅という感じでした。完全に鹿児島中央駅に代表格持ってかれてますね…

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次は日本最南端の電停、谷山へ。指宿枕崎線にも同名の駅がありますが、両者はかなり離れており、乗り換えには不便なようでした。この辺り、指宿枕崎線は 高架化工事中。高架線が完成すれば、ここらの景色は一変するのでしょう。同じ経路を戻るのはあまり好きではないのですが、前述の通りJR側の駅が遠いこと、 この日は18きっぷを使っていないが市電の一日乗車券があったことから、そのまま折り返すことにしました。
 二軒茶屋(三軒茶屋ではない)で一度下車し、近くの吉野家で夕食を取り、鹿児島中央駅へ戻りました。 その後、バスが出るまで時間があるので新幹線ホームで新幹線を眺めた後、改札を出たのですが…あ、土産買うの忘れた!!
 時既に遅く、kioskは閉まっていました。なので、土産は諦めました。そして、桜島号に乗り、鹿児島を離れました。


3月16日 博多バスターミナル〈徒歩〉博多〈鹿児島本線〉小倉〈山陽本線〉下関〈山陽本線〉新山口〈山陽本線〉岩国 〈山陽本線〉広島〈山陽本線〉糸崎〈山陽本線〉松永〈山陽本線〉岡山〈宇野線〉宇野〈徒歩〉宇野港 〈四国急行フェリー〉高松港〈徒歩〉ビジネスホテル

バスは無事、博多に到着。駅弁を購入し、JR九州の日付印をGET。鹿児島本線に乗り込みます。平日朝の時間帯であるため、快速列車がなく、小倉まで各駅停車でちんたら走ります。 小倉から乗った415系はセミクロスシート車が充当されていました。関門トンネルを越え、いったん本州に帰還します。下関からは、117系(ただし、末期色)に乗車し、 新山口で乗り換えます。 乗り換え時間はたっぷりあったので座れましたが、来たのは115系切妻魔改造車2両(末期色)。なお、車内は転換クロスシートではなくボックスシートとなっております。

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 混雑した列車のボックスシートに揺られること2時間、岩国に到着しました。一番乗車時間が長い列車に限ってボックスシートとは…。西に来たなら転クロ乗りたい。 そして、岩国からは、運転を開始して3日目の227系に乗車することができました。これで広島まで行きます。今までの主力、115系の転クロ改造車にはドア横の補助席がないので、 巡回に来た車掌さんが補助席の使い方を立ち客の方に教えていました。

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 広島からは、もはや貴重となりつつある瀬戸内色115系に乗車。

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 糸崎で岡山行きに乗り換えました。なお、この列車、先頭車がボックスシート、中間車が転クロという仕様だったらしく、それに気づかず最後尾に乗車してしまいました。 といっても、3駅で降りるので立っていました。思ったより駅間が長かったので座ればよかったかもしれません。松永駅で所用を済ませ、姫路行の山陽本線に乗車。こちらは全車がボックスシートだったようです。 岡山で宇野線に乗り換えました。また115でした。

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 個人的には213系に乗りたかったのですが、さすがに夕方の下りに2連は入れないですよね。
 宇野に着き、宇野港まで歩きました。港に着くと、フェリーの時間が調べていた時間よりも早くなっていました。あぶないあぶない…

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 宇野港から65分、高松に到着。時刻は20時ですが、ほとんどの店が閉まっていました。高松の夜は早い。アーケード街で、やっと開いている讃岐うどんの店を見つけ、夕食としました。 その後、ホテルにチェックインし、この日の行程を終えました。


3月17日 ビジネスホテル〈徒歩〉高松〈瀬戸大橋線 快速マリンライナー20号〉岡山〈赤穂線〉播州赤穂〈赤穂・山陽・湖西・北陸線新快速〉敦賀 〈北陸本線〉福井〈北陸本線〉金沢〈JR東海バス北陸ドリーム名古屋2号(車中泊)〉

 8時にホテルをチェックアウトして外に出ると…うわ、なにこれすごい霧…

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ことでんも御覧の通り。


 実は、この日瀬戸内海周辺はものすごい濃霧に見舞われていたのです。霧は晴れる気配はなく、JR四国の日付印をGETし、乗る予定のマリンライナー18号が来るまでの時間つぶしに、と高松駅で 撮影していると、90分以上遅延したサンライズ瀬戸がやってきました。

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そして、残念なお知らせが。
アナウンス「マリンライナー18号は、本日運転取りやめとさせていただきます。」

失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した
失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した
失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した
失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した
失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した
失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した
失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した
失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した


 実は、1本前のマリンライナー16号は10分ほどの遅れで高松駅を出発していたのです。 しかし、私は…「あ、サンライズ瀬戸遅れてる。わーい撮影だ〜」…というわけで、発車していく16号を横目にサンライズ瀬戸を撮っていたのです。 16号に乗っていれば、岡山からも予定通りだったでしょう。 次のマリンライナーは動いたので、とりあえず岡山まで行くことに。ところが…

 坂出駅に到着直後の車内アナウンス「間もなく発車します」。…ん?今、「間もなく発車します」って言ったよね?
15分経過。まだ坂出駅に停車中。  21分経過。接続待ちした列車が到着。結局坂出を23分遅れで出発。さっきの車内アナウンスは「間もなく発車します(すぐに出るとは言っていない)」ととらえるのが正解だったようで(汗)
さらに悲劇(?)は続きます。

 児島駅到着直後のアナウンス「この電車は、児島から各駅に停車します。」

 児島‐茶屋町間をノンストップ、130km/hで爆走するのを期待していたので大変残念です。本来快速運転する区間を各駅停車にしたので、遅れはさらに増し、 岡山には30分以上遅れて到着しました。もちろん当初乗る予定だった赤穂線には乗れず、結局、予定より1時間遅い列車に乗ることになりました。  もっとも、予定通りだと、岡山から播州赤穂まで例のまな板115系(車内はボックスシート)に乗ることになっていたようですが。
怪我の功名というべきか、不幸中の幸いというべきか、岡山からは、念願かなって213系に乗車することができました。

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ここで213に乗ったので、この日に乗った列車はすべて転換クロスシートという、地元ではありえない状況になりました。 この列車で播州赤穂へ。途中、日生では、瀬戸内海からこれでもかと発生する霧を眺めることになりました。
播州赤穂から、本日のメインディッシュ、新快速湖西線経由敦賀行に乗車します。米原経由?知らない子ですね…(棒)(※ただ単にちょうどいい列車がなかっただけです)

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こちらも対向列車待ち合わせで6分ほど遅延しましたが、さすが新快速、湖西線に入るころには定刻になっていました。運用の都合上、近江今津で前の4両に乗り換え、敦賀へ。 途中近江塩津では、近江塩津始発、米原経由の播州赤穂行が待ち構えていました。
 敦賀から福井まで521系の2連に乗車し、北陸トンネルを越えます。しかし、新車なので、デッドセクションで電気が消えない。味気ないのぅ…

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途中の鯖江駅で、遅れている特急サンダーバード31号を退避したため、福井には8分遅れて到着しました。 福井から乗った列車も、8分ほど遅延しました。もともと加賀温泉で特急を退避するダイヤだったので遅れが少なくなるかも?と思いきゃ、特急も遅れていて結局6分遅れとなりました。 ところが、金沢には3分の遅延で到着しました。回復運転恐るべし…
 ダイヤ改正後。ということで、IRいしかわ鉄道と北陸新幹線がある、ダイナスターがある…と、改正の目玉を一通り見た後、駅前で夕食をとり、名古屋行の夜行バスに乗り込むのでした。


 
3月18日 名古屋〈東海道本線 新快速〉豊橋〈東海道本線〉浜松〈東海道本線〉熱海〈東海道本線・上野東京ライン・宇都宮線〉黒磯 〈東北本線〉郡山〈東北本線〉福島〈山形線〉米沢〈米坂線〉今泉〈山形鉄道〉長井〈車〉実家


 名古屋にはほぼ定刻に到着しました。

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 名古屋駅で、JR東海の日付印をGET。これにて、「18きっぷの日付印をすべて違う会社で揃える」という、夏合宿では惜しくもできなかったことを達成。
この日は、とにかく「移動」でした。まず、名古屋から新快速で一気に豊橋へ。安城からすいてきたので座れました。で、豊橋から。平日朝の8時前だというのに、これですか。

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※6両です。

いや、新所原から座れたからもうこのまま熱海まで行ってくれと後に思いましたがね。そして、浜松に到着。
…覚悟はできていますね?
かの有名なロングシート地獄の始まりですww
211の前面展望席は先客がいらっしゃったので諦め、車椅子スペースに立って車窓を眺めました。熱海から、この日のメイン、上野東京ライン熱海発黒磯行に乗車しました。勿論グリーン車です。

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 ところが。
 茅ヶ崎到着前「前を走る列車の架線にビニールが引っかかって止まりましたのでこの列車も止まっております。」
 というわけで止まりました。相模川の真上で。そういえば、夏合宿の時は新快速が淀川の真上で停車したんですよ。地震が来なかっただけマシですかね。
 車内アナウンス「危険ですので車外には出ないでください」…見ればわかりますww
 茅ヶ崎には17分の遅れで到着しました。その後、大船での特快退避がなくなったので5分詰めました。しかし…
 尾久駅手前「東十条駅付近で非常停止ボタンが押されたため停車しています。」
…………………………不幸だ……
 最大で20分遅れました。このあと、長時間停車(?)は小金井で6分、宇都宮で約10分あったのですが、小金井駅では切り離し作業のため、しっかり6分停車しました。 一時は、黒磯からの乗り継ぎ列車に間に合わないと思いました。ところが。
 明らかに加減速度がいつもと違い、岡本駅に至っては、緊急停車を知らせるアナウンスが入るほどでした。非常ブレーキ入れちゃったのかな…?
 そんなわけで、定刻で黒磯に到着しました。
  黒磯からの列車は、本来701系の運用だったのですが、この日はE721系による代走となっていました。でもボックスシート。 ああ、転換クロスシートが懐かしい…
 郡山からも同様にE721系。ただ、座れなかったので連結部の助士側に乗りました。仙台行ですが、福島で下車。山形線に乗り換えです。ふと阿武隈急行のホームを見ると、 元JR417系が停車していました。
 米沢に向かい、米沢から米坂線、山形鉄道を乗り継いで長井へ。実家に戻りました。なお、このとき今泉から長井まで乗った車両は、鉄コレ19弾、山形鉄道モデルの実車、 YR886でした。

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その後、三月末まで実家でゆっくりした後、途中の東北道・菅生SAPAまで私が運転し、菅生から母親に交代して、仙台へと戻りました。