2014年 春合宿

今回の合宿地は、天橋立(京都府宮津市)。


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参加者 アルプス  ガイシ  LP42  みのり  北越  カタナ  キマロキ  キハ285

ガイシ

3月2日 仙台<国道45号線>宮城県仙台市宮城野区仙台港フェリーターミナル<太平洋フェリー「きそ」>船中泊
3月3日 船中泊<「きそ」>名古屋港フェリーターミナル<国道23号線>中部電力川越火力発電所<国道258号線><国道421号線>
西名古屋変電所<国道421号線><国道8号線><国道1号線>園城寺・琵琶湖疎水取水口<国道1号線><京都府道143号線>
南禅寺水路閣<徒歩>関西電力蹴上発電所ヘッドタンク・蹴上インクライン・ねじりまんぽ<京都府道143号線>京都東IC
<名神高速道路>吹田IC<中国自動車道>神戸IC<山陽自動車道>山陽姫路東IC<播但連絡有料道路>姫路JCT<国道2号線姫路バイパス>姫路SA<国道2号線太子竜野バイパス>岡山県相生市<岡山県道121号線><岡山県道64号線><国道250号線>
播州赤穂
<工場地帯を迷走><国道250号線>備前片上<国道2号線><国道2号線岡山バイパス><倉敷中央通り><元町通り>
ホテルサンプラザ倉敷
3月4日 ホテル<国道2号線岡山バイパス><国道2号線玉島バイパス>岡山県浅口市<国道2号線>広島県福山市<国道2号線尾道バイパス>広島県三原市<国道2号線><国道185号線>広島県竹原市忠海<国道185号線>電源開発竹原火力発電所<国道185号線>広島県呉市安浦<国道185号線>広島県呉市<国道487号線>音戸大橋<国道487号線><広島県道35号線>早瀬大橋<国道487号線><広島県道44号線><広島県道299号線><広島県道298号線>小用港<国道487号線>切串港<広島県道297号線><国道487号線><広島県道44号線><広島県道36号線>能美島軍艦利根史料館<広島県道36号線>砲台山<広島県道36号線><国道487号線>江田島市鹿川<国道487号線>倉橋変電所<国道487号線>音戸大橋<国道487号線>ビューポートくれホテル
3月5日 ホテル<徒歩>大和ミュージアム<徒歩>海上自衛隊呉資料館「てつのくじら館」<国道31号線><国道2号線> 広島市営基町駐輪所・立町停留所<広島電鉄本線>広島駅<広島電鉄本線>立町停留所<国道54号線><広島県道37号線><国道54号線>ビジネスホテル三原
3月6日 ホテル<国道54号線><国道183号線>三次東IC<松江自動車道>口和IC<広島県道39号線>北上断念 <広島県道39号線>広島県三次市<国道号184線>尾道IC <山陽自動車道>吉備SA<山陽自動車>山陽姫路東<播但連絡有料道路>福崎IC<中国自動車道>吉川JCT<舞鶴若狭道路>福知山IC<国道9号線>京都府福知山市<国道9号線><国道号175線><国道176号線>道の駅シルクのまちかや・加悦SL広場<国道176号線><国道178号線>天橋立笠松側<徒歩withCB>天橋立駅
3月7日 天橋立駅<徒歩>天橋立ビューランド<京都府道607号線><国道178号線><国道175号線><国道9号線>丹波IC<京都縦貫自動車道>大山崎JCT
<名神高速道路>草津田上JCT<新名神高速道路>亀山JCT<東名阪自動車道>御在所SA<東名阪自動車道>四日市JCT<伊勢湾岸自動車道>刈谷PA<伊勢湾岸自動車道>豊田JCT<東名高速道路>浜松IC<静岡県道343号線><国道150号線>中部電力浜岡原子力発電所<国道150号線><静岡県道224号線>西焼津セントラルホテル
3月8日 ホテル<国道150号線><静岡県道199号線>三保飛行場<静岡県道199号線>三保の松原・羽衣の松<国道149号線><国道1号線><静岡県道341号線><静岡県道10号線>日本軽金属富士川第一発電所<国道469号線>静岡県富士宮市<国道469号線>静岡県御殿場市<国道138号線>東京電力仙石原変電所<国道138号線>宮の下交差点<国道1号線>神奈川県平塚市<国道129号線><国道16号線>東京都八王子市<八王子バイパス><国道16号線>埼玉県入間市<国道16号線><埼玉県道3号線><国道125号線><国道4号線重複区間><国道125号線><国道4号バイパス><国道50号線>実家
3月9日 実家<国道294号線><栃木県道310号線><国道4号バイパス>矢板IC<東北自動車道>矢板北PA<東北自動車道>国見SA<東北自動車道>仙台南IC<国道286号線>自宅

今回の合宿は私にとって2回目の合宿となります。前回も前々回も参加するつもりでいましたが、転倒による負傷・修理によって断念してしまいました。なので「合宿に出発できた」という事実だけで、私にとって大変すばらしいことなのです。

さて、今回も私は一切鉄道を利用せずバイクで合宿地へ移動するという行程を組みました。乗るバイクはホンダ・CB400スーパーボルドールです。何回も転倒を経験しつつも再び走り出すタフさとその色合いから、会津の郷土玩具である「起き上がり小法師」の渾名を飛北先輩から頂戴しました。専ら会員からは「こぼし号」と呼ばれ、何かが転倒するたびに引き合いに出されています。

そんなバイクに跨って行くガイシの旅行記、どうか最後までお付き合い願います。

3月2日
合宿一日目の目的地は、同じ仙台市内の仙台港フェリーターミナルです。最初から自分で運転しないのは、もし東北で雪が降っていてバイクに乗れなくても行程に支障をきたさないようにするためです。また去年は苫小牧行きのフェリーを予約してありながらも、キャンセルせざるを得なかったことへのリベンジの意味合いもあります。
生憎のみぞれの中、朝9時に家を出発し青葉山の工学分館で本を返してから仙台港へと向かいました。窓口にて乗船手続きを済ませると、同じ建物の2階にある待合室でしばし待機します。眼下ではトラクターが続々とトレーラーを船に積み込んでゆきます。その手際の鮮やかさに感心していると、あっという間に搭乗時間が来ました。
外に出て駐輪場へ向かうと、バイクは私しかいませんでした。この寒いときにバイクで長距離を走ろうとする酔狂な人間は、私くらいなものでしょう。割と早めに誘導され、車両甲板出入り口のすぐ脇に固縛されました。
今回私が乗る船は太平洋フェリーの「きそ」です。総トン数15,795トン、機関は三菱MAN製ディーゼルエンジンを2基搭載し、最大出力は32,200馬力です。内装は南太平洋をイメージしたデザインで統一され、数々の娯楽施設が備わっています。予約したのはB寝台で、個別の2段ベッドとなっており、ある程度のプライバシーが確保できる部屋を選択しました。部屋の場所は旅客スペースの最下層・最後尾ということでエンジンに大変近いところになり、大型ディーゼルエンジンのゆっくりとした爆発による振動が感じられるよい部屋でした。
ひとまず部屋に荷物を置いてから、デッキを散策しました。デッキからは仙台港の施設や、新仙台火力発電所に建設中のLNG貯蔵タンクなどが良く見えました。これから船に積み込まれる完成車や、利府の新幹線基地への陸送を待つ北陸新幹線用のE7系なども写真に収めることができました。
 出航の際には180度向きを変える必要があるため、艦尾左側からタグボートが引っ張り、艦首はスラスターを作動させて時計回りの回頭をしました。私は左舷に張り付き、タグボートが発生させる水流やスラスターが動作している様子を夢中で写真に収めました。内陸で生まれた私には、文献でしか見たことがなかったスラスターが実際に動いているのを見ることはとても新鮮な体験でした。
出航すると「きそ」は20ノットを維持しつつ、南下を開始しました。午後8時ごろ福島沖を通過。午後10時には千葉県犬吠埼を通過しました。この時点で雨はまだ降っており、フェリーを選択して良かったと内心安堵しました。冬の雨の中バイクを運転するのは大変危険なので、大きなリスクを回避できました。

翌日の3日は起きてみると気持ちの良い青空でした。どうやら夜のうちに雨雲を抜けたようです。
朝食は船内のレストラン「タヒチ」で摂りました。バイキング形式で、メニューに笹かまぼこがあるのがいかにも太平洋フェリーらしいなと思いました。店内には豆を挽いてからコーヒーを淹れる機械も置いてあり、おいしいコーヒーが楽しめました。
9時半ごろ中部国際空港の脇を通過し、10時には埠頭のすぐ近くまで接近しました。下船準備を整えエレベーター前に並ぶと、接岸を待たずに車両甲板に案内されました。スラスター作動と減速のために機関はかなり出力を上げており、車両甲板の音と振動はすさまじいものでした。
「きそ」は時間通りに接岸。ハッチが開くとそのすぐ脇に止めてあった私のバイクは一番乗りで名古屋港金城埠頭に降り立ちました。
今日最初の目的地は、三重にある日本最大の出力を誇る火力発電所、中部電力川越火力発電所です。本来ならばPR施設も見ておきたいところですが、残念ながらこの日は休館日でした。しかし巨大な煙突や変電設備はさすが日本一といったところで、存分にその迫力を楽しむことができました。
その後国道421号線を通り滋賀県近江八幡市に出て、国道8号線を西進しました。そして大津で寄り道し、三井寺をたずねました。三井寺自体を見たかったのではなく、三井寺のすぐ脇にある琵琶湖疏水の入り口を見たかったからです。そして入り口を見たからには出口も見たくなるのが自然です。京都に詳しい人ならば、この後私が行く場所の見当がつくことでしょう。
山科を通り三条通りに出た私は、京都市左京区の蹴上へと向かいました。ここには琵琶湖疏水の出口があり、日本で始めて発送電事業を開始した蹴上発電所があります。南禅寺の水路閣を見た後、蹴上インクラインを歩き疎水の出口へと行きました。蹴上発電所取水部分は国の文化財に指定されており、構造物も重厚で明治の香りが色濃く残っていました。
インクラインの下をくぐる「ねじりまんぽ」を通り南禅寺に戻った後は、名神自動車道路の京都東ICへと向かいました。途中アウディ・R8の後ろについたり、関西の原付勢の奔放振りを目の当たりにしながら楽しくICへと走りました。
 京都東で初めてCBのETCを使い、名神を西へと向かいます。大山崎JCTを左手に見た後、吹田から中国道に入りました。ここは大阪モノレールの万博記念公園駅に近く、頭上をモノレールの複線が躍動的なカーブを描いて合流していくさまは圧巻でした。神戸ICからは山陽道に入り、山陽姫路東で播但道にチェンジ。そして姫路ICから国道2号線姫路バイパスに乗り、相生からは国号250号線で播州赤穂経由で備前市をめざしました。そこから再び国道2号線岡山バイパスを通り、倉敷の宿へ到着しました。
この日の宿は普通の部屋のほかに、近くのアパートを借り上げて部屋としているものがあり、今回はそこに泊まりました。この部屋、雰囲気がジブリ映画「耳をすませば」の主人公が住む団地に雰囲気が似ていて、90年代生まれの私の琴線に触れるとても居心地のよい部屋でした。
3月4日
この日は倉敷から呉へと向かいました。
部屋の居心地が良すぎたせいか寝坊してしまい、出発したのは8時半と遅くなってしまいました。遅れを挽回すべく、国道2号線のバイパスを飛ばします。尾道の手前からはまるで高速道路のような自動車専用道である尾道バイパスで一気に距離を縮めることができました。しかしその先は慢性的な渋滞が続く道路で、三原までゆっくりしかすすめませんでした。三原からは呉線と並走する国道185号線へ入りました。この道路は海岸線のごく近いところを縫うようにして走る国道で、穏やかな瀬戸内海と、点在する島々を左手に見ながら快走することができます。途中安浦町では太平洋戦争時に建造されたコンクリート製の輸送船があるので、それを見学することにしました。この船の名前は「武智丸」といい、鉄が不足した戦中に設計され、昭和19年から数年間瀬戸内海での輸送に従事しました。戦後は安浦町に払い下げられ、現在は防波堤として第二の職を得ています。
最初防波堤上に立ち入る扉には「立ち入り禁止」と書かれていたので外から写真を撮っていましたが、近くにいたおじいさんに入っても大丈夫との言葉を頂き、内部を思う存分見て回ることができました。
呉には13時過ぎごろに到着しました。この日は呉中心部は観光せずに、江田島を一周することにしました。呉市からは音戸橋を通り、倉橋島へわたりました。島北部の県道を通過し、早瀬橋を渡って江田島に上陸です。江田島はいまも海上自衛隊の訓練施設や米軍の補給基地など、軍事の重要な拠点となっています。
 江田島に上陸した後は切串港をまわって海上自衛隊第一術科校の脇を通り、能美島の軍艦利根資料館に行きました。重巡洋艦利根がこの能美島のすぐ近くで擱座したことから、地元の方や生き残った乗組員の方たちが設立した資料館です。展示内容は利根で使われていた日用品や船の装置が展示されていて、ことができました。
 資料館を見た後は島の東側にある砲台山へと行きました。砲台山は外国の侵攻に備えて明治時代に砲台が作られた山で、いまでも弾薬庫や砲が取り付けられていた基礎を見ることができます。山からは瀬戸内海から広島湾へと入る船舶をよく見ることができ、砲台を設置するのに絶好の場所であることが実感できました。
この日は夜から雨の予報が出ていたので、早めに呉の市街地へと戻り、宿へ向かいました。夕食を駅至近の森田食堂でカツオのたたきを食べ、その後駅近辺をぶらぶらしていると雨が降り出しました。明日には止むことを願って、床に就きました。
3月5日
 朝起きて外を見てみると、天気予報通り雨は止んでいました。チェックアウトを済ませ駅に向かい、立ち食い蕎麦屋で朝食を摂ります。あえて蕎麦屋にしたのは、関西のつゆの味を食べ比べたかったからです。予想通りあご出汁に塩を加えたような、しょうゆがあまり強くないつゆでした。
 蕎麦をおいしくいただいた後は、広島出身の友人と合流し大和ミュージアムへと向かいます。ここは呉海軍工廠が建造した世界最大の戦艦「大和」の10分の1の模型をはじめとした帝国海軍に関する展示が充実しています。中でも私の興味を引いたものは、戦艦「金剛」に搭載されていた「ヤーロー式ボイラー」の実物でした。これは昭和初期に「金剛」が改修された際降ろされたボイラーで、金属材料研究所の暖房用ボイラーとして平成5年まで使われていたものだそうです。大正時代に作られた機械が20年前まで稼働していて、その実物が目の前にあることに大変感銘を受けました。
 次は大和ミュージアムの斜め向かいにある、海上自衛隊資料館「てつのくじら館」に向かいました。海上自衛隊は海の地雷である機雷の除去を行う、「航路啓開隊」から始まりました。ゆえにてつのくじら館では2階のスペースすべてを機雷と掃海の展示に充てています。各国の機雷や、接地・感知方式などの詳しい説明から、それを除去する掃海技術・掃海具の実物展示まで大変濃い内容でした。3階もすべて潜水艦の展示で埋められており、海上自衛隊初の潜水艦「おやしお」の模型や潜水艦に備わっている機能、そして求められる性能などが詳しく展示してありました。艦内設備の一部分を取り出した展示もあり、潜水艦の寝台の窮屈さを体験してきました。
 そしてこの資料館で最も目立つ、潜水艦「あきしお」の内部に入りました。内部は退役したままとなっていて、食堂には冷蔵庫もそのままにしてありました。
指令室は低い位置をパイプが何本も走っていて、身長170cmの私でも大変窮屈でした。
結局6時間ほど呉で展示を見ながら友人と過ごした後は、広島市街地に移動して広島お好み焼きを食べに移動しました。途中までは呉線の電車と抜きつ抜かれつのいい勝負でしたが、次第に渋滞に巻き込まれて遅くなってしまいました。駐輪場から待ち合わせの駅前までは思ったより距離があったので、立町から広島駅前まで広島電鉄を使います。行きは初代グリーンムーバ―、帰りはグリーンムーバーMAXで、ドイツ製と日本製の低床車を乗り比べることが出来ました。
 広島駅ビル2階の「麗ちゃん」というお店でお好み焼きを食べた後、友人と別れ三次へと向かいます。広島県道37号線を使って北上しようとしていましたが、あいにく帰宅ラッシュで全く進みませんでした。広島の新都市交通システムであるアストラムラインの高架橋と並走しながら、ジリジリと北へ進んでいると、雨まで降り出してきました。
雨は降ったり止んだりを繰り返し、三次に近づくにつれて気温も下がってきました。気温3℃のなか宿についた私は、疲れもありすぐに就寝しました。
3月6日
 この日は朝5時半に起きました。昨晩の三次の天気予報では雪がちらつく模様とのことだったので、急いで外を見てみるとやはり雪が積もっていました。幸いにも路面は凍結していなかったので、松江道路から島根県を目指すことしました。
 しかし松江道路口和インターチェンジからタイヤ規制が掛かり、一般道を通らざるを得なくなりました。なので県道号線を県境に向けて走り出しましたが、5kmも行かないうちに路面が白くなり始めたので断念しました。
計画を変更し、中国道から舞鶴若狭道路で福知山に出るルートにしました。しかし中国道でも山間の区間はタイヤ規制がかかっていたので、思い切って山陽道まで南下することに再変更。福塩線と平行する国道で尾道まで出ました。南進作戦は見事成功。雪は雨に変わり、「道の駅みつぎ」で休憩する頃には日が差してきました。
ここから高速道路に乗るために給油を済ませ、尾道ICから山陽道に入りました。吉備SAで休憩した後は山陽姫路東から播但道にはいり、中国道に抜けます。吉川JCTから舞鶴若狭道に入り、快調に走ると小一時間で福知山に着きました。
 国道9号線で福知山市街地を抜けると、2012年夏合宿で通過した牧交差点に来ました。かつては50ccスクーターでうだるような暑さに耐えながら通過した場所を、今度は400ccの自動二輪で身を切るような寒さに耐えながら通過します。
国道175号線からすぐ国道176号線に入り、与謝峠を越えて与謝野町に入りました。与謝峠では凍結対策として消雪パイプがフル稼働していて、たまにバイザーを直撃する程勢いの良いパイプもあり楽しい道中でした。
道の駅かや絹の里でトイレ休憩していると、道の向かいに「加悦SL広場」があるのを発見!少し見てこようと思ったのですが、折悪しく雪が激しくなり、早めに合宿地に着きたいという思いから入場しませんでした。もし入場していたら、偶然そのときSL広場にいたカタナ氏と遭遇していたことでしょう。
 宮津市に入った私は、ある目的のために天橋立駅からは反対側の笠松へと向かいました。
ところで、京都府の条例により天橋立は歩行者・自転車・原動機付き自転車しか通行することができません。私は自動二輪なので、乗って通過することはできないのです。しかし道路交通法によれば自動二輪もエンジンを切り、押して歩けば歩行者です。CBとともに天橋立を通過しても何ら問題はありません。
 ということで2kmの距離を220kgほどのバイクを押して歩き通しました。一番辛かったのは回旋橋ではない方の橋で、アーチの勾配がきつく大変疲れました。
 その後はローソンで夕飯を確保し駅に向かい、無事集合時間に間に合いました。
3月7日
 今日も時々雪の予報だったので、凍結を恐れて遅めに出発することにしました。9時に宿を出て、天橋立ビューランドに行きます。登山にはモノレールとリフトがありますが、荷物が多かったのでモノレールを使うことにしました。昨夜の雪で天橋立の砂浜は白く染まり、松との深いコントラストが大変美しく見えました。
本来ならば今日は舞鶴へ向かい舞鶴復員資料館や石炭火力発電所を見学しようと思っていたのですが、今日も曇り時々雪の予報なので速やかに南下することにしました。
 国道175号線で海の傍を由良川河口へと向かいます。そのあとは由良川沿いに走っていきますが、由良川の堤防工事の為の車両が多く、なかなか距離を稼げません。ゆっくり走っていると、道路わきに怪しい鉄道廃線跡らしきトンネルを見つけました。帰ってから調べてみると、かつて北丹鉄道と言う私鉄が営業していたようです。また通る機会があれば、ぜひじっくり見てみたいと思います。
 国道9号線で福知山を抜け、京丹波市から京都縦貫自動車道に入りました。途中雪がちらつくことはありましたが路面を濡らすほどではなく、大山崎JCTまで快適に走れました。
大山崎JCTは日本でも屈指の規模を誇るジャンクションです。特に京都縦貫道から各方面へと向かうランプ橋は僅かな隙間にねじ込むように作られており、何度も曲線を通ると自分がどの方角を向いているか見失いそうになります。半径14mの曲線が有名ですが、残念ながら私はその区間を通りませんでした。しかし15m程で合流させられる区間などは通ることが出来たので、楽しい時間を過ごせました。
 名神道を東に進むと、正面に黒い雲が見えてきました。嫌な予感がよぎります。案の定山科付近で大粒の雪となり、視界が大変悪くなってしまいました。天候は回復しないまま草津JCTから新名神に入ります。鈴鹿山脈を越える区間はずっと雪に加えて強風も吹き、吹雪の中を走るはめになりました。吹き付ける風は冷たい向かい風で、トンネルの中だけが僅かな安息の地です。
 峠を越え三重県に入り、東名阪に乗るとようやく青空が見えてきました。EXPASA御在所で休憩した後は伊勢湾岸自動車道に入り、3日にフェリーから降り立った埠頭を横目に見つつ巨大な橋をいくつも渡ります。
 刈谷SAで給油を済ませた後は東名自動車道を浜松まで乗りました。京丹波市から浜松までは僅かに3時間で、高速道路の時短効果を実感しました。
浜松からは国道150号線を海沿いに東へとむかいます。途中発電用風車が立ち並ぶ区間があり、夕日で橙色に染まった雲に向けるシルエットは大変きれいでした。
 そして今日最大の目的である浜岡原発に到着しました。現在浜岡原発では津波から施設を守るための巨大な防波堤を建設しています。先の福島第一原発の事故では津波によって非常電源が失われてしまったのが致命傷になりました。ゆえに海に近く海抜も無い浜岡原発では津波対策が必須なのです。聳え立つ足場は夕日に鈍く輝き、再稼動に懸ける中部電力の本気がひしひしと伝わってきました。
 また浜岡原発からは日本でも珍しい3導体の超高圧送電線である浜岡幹線があることでも有名です。一般的な送電線は偶数本の導体が束ねられていますが、建設費低減のためには電線を減らしたほうが有利です。そして浜岡幹線は日本初の3導体送電線として建設されました。上で紹介した川越火力発電所からも同じ3導体の川越火力線が出ています。
 この日の夕食は浜松出身の友人から教えてもらった「炭焼きレストランさわやか」でとりました。私が注文したのは 「げんこつハンバーグ」で、久しぶりに肉のおいしさを味わうことができました。
 食事のあとは焼津に向かい、ホテルに泊まりました。フロントの方に親切に対応していただき、バイクを屋根のある玄関脇に置かせてもらえることになりました。
  3月8日
 この日は長旅の疲れがたまったのか、比較的遅い時間に起きました。気を取り直してホテルの朝食をとり、まずは名勝「三保の松原」を見るために清水市へと向かいました。途中日本坂トンネルを通りましたが、ここは東名自動車道、東海道新幹線、国道150号線が集まる交通の要衝となっています。東海道本線もこのすぐ海側を通っていて、さらに海岸には廃線マニアに名高い大崩トンネルが口をあけています。今回は時間が無く通りすいてしまいましたが、いずれじっくりと歩いてみたい土地のひとつです。
この日は天気がよく、幸運にも富士山がはっきりと見える日でした。まさに観光パンフレットに載っているような、砂浜と松原と富士山のコラボレーションを見ることができました。
 さて、日本は50Hzと60Hzの電力が混在していますが、2つの周波数間の電力融通を図るために3箇所の周波数変換所があります。そのうちのひとつが静岡県清水市にあるのですが、今回はすっかり忘れてしまい、後悔することとなりました。近いうちに再訪しなければなりません
 三保の松原を出た次は、一度山梨県を目指します。静岡県には日本軽金属という国内で唯一アルミニウムの電解精錬を行っている会社があるのです。その会社が所有している発電所のひとつが、身延線のすぐ脇にあるのです。そこに向かうためには興津から国道52号線に入らなければならなかったのですが、曲がることをすっかり忘れていました。そのおかげで由比から正面に富士山を眺めることができましたが、時間のロスとなってしまいました。
 富士川を渡ったところでようやくルートミスに気づき、北へと方向を変えました。思えばこのときからあとあと起こる悲劇の予兆があったのかもしれません。
 静岡・山梨県道10号線で富士川右岸を北上します。途中芝川では日本軽金属富士川第二発電所用の巨大な導水管が道路に平行して橋を渡っていました。県境のあたりは大変道が狭く、ところどころ凍結している箇所もあり、通過には細心の注意が必要でした。
緊張の狭い道を抜けると、対岸に富士川第一発電所が見えてきました。発電所の前には狭い道があり、こちらは公道なので自由に入ることができます。富士川第一発電所は昭和16年運転開始の歴史ある発電所です。この発電所の放水は下流の富士川第二発電所に送られています。この日は土曜日ということもあり、発電所近辺の道でかなりの数のバイクとすれ違いました。
 発電所からは、狭く曲がりくねった国道469号線で富士宮市へ抜けました。舗装された林道を国道指定したような道で、小刻みなブラインドカーブをゆっくりと駆け抜けていきます。そのまま富士宮市を横断し、御殿場市へと向かいます。途中富士山子供の国や富士サファリパークがあるので、家族連れらしき車が多くて距離を稼ぐことができませんでした。御殿場市に入る手前には陸上自衛隊の演習場を横切る区間があり、巨大な轍が刻まれた道が幾本も道をアンダーパスしていきました。面白かったのが、演習場の真ん中にもバス停があったことです。地図で見ると風穴があるようなので、そこに行くためのものと思われます。
 御殿場からは国道138号線で箱根仙石原を経由して、小田原に抜けることにしました。途中仙石原で変電所に寄り、「ユーコン」という古い有線操縦模型飛行機の総称が書かれたおもしろい看板を見つけたりしました。
 今回箱根経由にしたのは、毎回箱根駅伝に登場し強烈な印象を与えてくれた函嶺洞門をとおるためでした。しかし残念なことに洞門を迂回する新道が完成していて、通ることができませんでした。さすがにあの狭さは円滑な交通に支障が生じるでしょうから、致し方ないのかも知れません。
 小田原まではゆっくりと流れていたのですが、小田原から地獄の渋滞が始まりました。結局平塚までの17キロに50分を費やし、クラッチを操る左手の筋が痛くなってくるほどでした。平塚から国道129号線に入り一息つけたかと思いきや、厚木でまた詰まり八王子手前ではまったく動かなくなってしまいました。八王子には入れないまま一息ついたのですが、このときすでに箱根湯本から3時間が経過していました。途中何台ものバイクが脇をすり抜けていきます。彼らのゴールはもうすぐでしょうが、私のゴールは茨城の実家なので遥かに先です。
 やっと八王子バイパスに入り、つかの間の開放感を得ますがすぐに渋滞につかまってしまいます。なんとか埼玉県に入ると、時間が遅くなったということもあり流れるようになりました。入間、狭山、川越と抜けて順調に進んでいるかのように思えましたが、ルート確認のため立ち寄ろうとした指扇のコンビニで、悲劇は起きました。右折して駐車場に入ろうとしたところ、見落としていた手前の縁石に引っかかり転倒してしまったのです。幸い他の交通の邪魔にはなりませんでしたが、カウルが削れてしまいました。幸いにも折れたブレーキレバーは握る余裕があり、走るのには何の問題はありませんでしたが、大きな精神的な打撃を受けました。
 自責の念を引きずったまま、埼玉県道3号線で栗橋へと向かいます。そして、第二の悲劇がここで起こりました。休憩のためバイクを降りようとしたところ、サイドスタンドを出し忘れたため転倒したのです。CBに乗り始めて1年以上たちますが、一度も出し忘れたことはありませんでした。これは大分疲れていると感じた私は、今まで以上に慎重に運転することにしました。
国道125号線から国道4号線に入り、茨城県へと突入します。そして4号バイパスで一路国道50号線に向けて左側車線をゆっくりと走ります。茨城・栃木の4号バイパスはまるで「信号機のある高速道路」で、第三通行帯は100kmで流れているようなとんでもない道です。信号見落としに気をつけ、結城で国道50号線に入りました。そこから30分ほどで無事に実家に着くことができました。
3月9日
 前日の転倒のショックから立ち直り、今日は余裕を持って高速道路で帰ることにしました。朝11時に家を出て、国道294号線を北に向かいます。久下田から栃木県道310号線に入り、国道4号を目指します。この道は中学時代に部活の遠征で何度も通ったことがあり、友人と自転車で来たこともあったので懐かしい気分に浸りながら運転しました。
 国道4号との交差点付近には最近道の駅しもつけが開業し、休日ということもあって結構な車が止まっていました。私は出発して間もなかったため寄りませんでしたが、栃木中部の名産が数多く売っているそうです。
 国道4号に乗ってからはひたすら北を目指します。私が小学生のころは蒲須坂付近が片側一車線で慢性的な渋滞が起きていましたが、山のほうにバイパスができてからは矢板ICまで快適に運転できるようになりました。
 矢板北PAで開いてしまった袖口を直して、いざ巡航再開です。土曜日でしたが車は少なく、みるみるうちに白河の関をこえました。猪苗代新幹線を見送り、郡山を過ぎると雪がちらついてきましたがすぐやんでしまいました。
 国見SAでお気に入りの喜多方ラーメンをたべ、体を温めて仙台へのラストスパートをかけます。菅生PAを過ぎると並行する宮城県道31号線の仙台市の看板が見えましたが、まだ油断は許されません。
仙台南ICで東北道を降り、286号線に合流しました。ETC休日割引で2000円もかからず仙台まで高速道路に乗ることができて、お得感を味わいました。
 高速を降りてからも何事も無く、無事太白区の自宅に帰ることができました。