2014年 夏合宿

今回の合宿地は、愛媛県松山市(道後温泉)。


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合宿の旅程などを、参加者ごとに紹介します。
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参加者  はやぶさ  LP42  サンポート  北越  カタナ  ヒサシ138  青ガエル  キマロキ  キハ285  はつかり  キハ110  キュウべえ  TJライナー  グラシア  よっしー  中將  キハ52  桿菌

キハ285




今回、私は青春18きっぷとフェリーを利用して、仙台と松山を往復した。
複線電化の本線を、近郊電車に揺られながらひたすら進む行程が多く、四国以外ではほとんどローカル線と縁のない旅であったが、
今まで訪れたことの無かった地域の景色を車窓から眺めるだけでも十分に旅情を感じることが出来たと思う。


8月25日・26日 自宅(仙台市内)<徒歩>仙台駅<東北本線>郡山駅<東北本線>黒磯駅
<東北本線(宇都宮線)>宇都宮駅<東北本線(宇都宮線)>上野駅<京浜東北線>東京駅
<東海道本線>熱海駅<東海道本線>浜松駅<東海道本線>豊橋駅<(ここで一泊)>

豊橋駅<東海道本線・特別快速>大垣駅<東海道本線>米原駅<東海道本線・新快速>神戸駅
<山陽本線>兵庫駅<川崎重工業兵庫工場 見学>兵庫駅<山陽本線>相生駅
<山陽本線>糸崎駅<山陽本線>広島駅<山陽本線>海田市駅

東北本線、東海道本線、山陽本線と乗り継いで、ひたすら西へと向かう行程となった。
東京から乗った快速アクティーや新快速、それに名古屋地区の特別快速を除いては
ひたすら普通列車に揺られる旅となり、広島に着くまでに丸二日掛かってしまった。
なお、初日は豊橋から先も乗り継いで行くことのできるダイヤではあったものの、
「外が暗くなったら車窓が楽しめなくなるので旅情が半減する」と考えて
日没後なるべく早く宿を取ろうと考えたため、豊橋で宿泊した。


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初日のスタートは仙台6:03発の始発、郡山行きである。
もちろん、アパートから仙台駅まで向かうバスはまだ走っていない。
タクシーを呼ぶのも面倒で、結局約一時間かけて歩くこととした。

仙台から郡山、郡山から黒磯、いずれも719系を使用する列車であり、
車窓を眺めながらゆったりと移動することが出来た。
黒磯から宇都宮までは京葉線出身の205系。
ロングシートで車窓が見えにくかったせいか、気が付けば寝落ちしてしまった模様。
早起きして眠い中、一時間歩いた疲れがここで出たのだろうか。
今から疲れを溜めてどうするんだ俺…。

宇都宮から上野まではE231系、東京から熱海まではE233系のボックスシートを確保した。
意外と生で見たことの無かった東京近郊の住宅地の風景を、思う存分楽しむ。
なお、東京駅では改札外に出る時間すら無かったものの、
上野東京ライン試運転に勤しむ185系の姿をホーム上で確認することが出来た。

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熱海では疎開中なのか、引退したはずの横浜線205系という珍客に迎えられる。
そしていよいよ、曰くつきのJR東海静岡エリアへ。
…やってきたのは3連という短編成の313系。当然の如く座席確保には失敗してしまった。
静岡エリアにはロングシート車しか居ないということを批判する人も居るが、
座れない身としては座席以前の問題である。もう少し編成長を伸ばすことはできなかったのだろうか…。
結局、浜松あたりで座席が空くまでの間、最後部車両で後方風景を展望して過ごすこととなった。

そんなこんなで、約半日の間電車に揺られ続け、日も落ちた18時半過ぎにようやく豊橋に到着。
「夕食無し」プランで宿泊したはずのホテルでは、意外にもロビーでカレーバイキングをやっており、
宿泊客なら誰でも無料で食べられるとのこと。
夕食代が浮く上に、夕食を求めて蒸し暑い中歩かなくても済む(※暑がりの北海道民にとってコレはとても重要)ので、とても有難いサービスであった。

初日は仙台から豊橋まで、ほとんど曇り空のままで推移した。旅行の時くらい、晴れてほしいものなのだが…。
この後数日は、全国的に天気が崩れる。そんな不吉なニュースを聞きながら、眠りについた。





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2日目は豊橋から大垣まで、特別快速で一気に移動するところから始まった。
豊橋始発の列車だったため、窓側の座席をしっかりと確保。
残念ながら名古屋到着に前後して大雨が降り始めたものの、大垣まで行くと晴れていたのでひと安心である。
米原行きの普通列車に乗り換えて、関ヶ原の山深い古戦場エリアをゆっくりと楽しむ。
…と、ここで米原方面の踏切でトラブルが発生し、乗っている列車にも数分間の遅れが生じてしまった。
米原では予定の列車に乗ることができず、仕方なく30分あとの新快速に乗車。会社境界だし、接続が取れないのも仕方ないね。

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何度も旅行でお世話になっているが、新快速はやはり速い。
京都、大阪をスルーして、あっという間に兵庫県に出てしまった。
東海道本線の終着駅、神戸からひとつ先の兵庫駅で下車。
JR北海道や札幌市営地下鉄など、北海道の車両を大量に製造中だった「川崎重工業兵庫工場」に足を運んでみる。
H5系、733系、キハ261系、キハ285系、東豊線9000系を同時に造っているというのも、不思議なものだ。

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兵庫を出たら、あとはひたすら西へ向かうだけだ。
新快速で相生まで出ると、湘南色の115系が3連で出迎えてくれた。
相生から岡山までの山陽本線は、海から離れた山里のような風景をのんびりと走る。
岡山以西は海に近い平地を走ることが多くなり、空も晴れて穏やかな夕焼けが拝めるようになっていた。
それはそうと、この「瀬戸内の陽光」をモチーフにした塗装の電車が、最近このエリアでは増えているらしいが…。

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はい、その一つがこちら。
糸崎から広島まで乗ったのが、この115系L編成である。
私としては、かの有名な単色塗装、いわゆる「末期色」に乗車した初めての経験となった。
まぁ、確かに乗ってしまえば、車体塗装なんて気にならないのであるが、ホームに降りて列車を眺めると、どうしても国鉄末期のようなやっつけ感が拭えないように思える。
JR西日本の迷走?を表現した「迷列車」と言うこともできるかもしれない。

夜の広島に到着。到着直前に線路沿いのスタジアムを覗き見ることが出来たのだが、この日のカープはホームで快勝した模様。
駅構内で様々な塗装の国鉄形車両達を撮影した後、岡山側に数駅戻った「海田市駅」の付近のビジネスホテルに宿泊。




仙台から広島まで丸二日かけて移動した感想は、「日本って狭いようでいて広いんだなぁ」というようなものだった。
停車するひと駅ごとに違った街(集落)が形成され、数えきれない程の人間がそこに暮らしている。
新幹線のように目まぐるしく車窓が変化しない分、沿線の人々の暮らしの一端に目を向けることが出来たような気がする。
電車の座席に座っているだけではあったが、とても貴重な体験のできた二日間だったようにも思える。




8月27日 海田市駅<山陽本線>広島駅<広島電鉄>原爆ドーム前<原爆ドーム 見学>
<広島電鉄>横川駅<山陽本線>宮島口駅<宮島連絡船>宮島駅
<厳島神社 見学>宮島駅<宮島連絡船>宮島口駅<山陽本線・呉線>呉駅<駅周辺散策>
呉中央桟橋ターミナル<石崎汽船 翔洋丸>松山観光港<徒歩>高浜駅<伊予鉄道高浜線>大手町駅
<徒歩>松山駅<伊予鉄道 市内電車>道後温泉駅<徒歩>合宿会場


広島県に来たからには、最低限原爆ドームだけは見ておかなければならない。

広島電鉄の路面電車に乗ったり撮ったりしながら、私がまず初めに向かったのは原爆ドームである。
原爆投下の破壊の惨状を現在に伝える貴重な遺産。破壊されたままの姿で、70年の時を過ごしてきた。
風化や老朽化との戦いもあるだろうが、どうかこの建物だけは、この姿のままで永遠に保存してほしい。

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ところで、原爆ドームと川を挟んで向かい側には、「燃料会館」という建物がある。
こちらも原爆で破壊された建物であるが、なんとこちらは修復工事が行われ、平和記念公園のレストハウスとして使われている。
原爆ドームと違い、あまり注目されていない建物だが、こちらもれっきとした「生き証人」であり、末永く使い続けてほしいものだ。

原爆ドームを撮影している途中、相生橋を被爆電車(651号)がゆっくりと横切っていった。



この日は午後のスケジュールがきつかったため、広電のみで宮島口に向かう時間的余裕は無く、横川駅から山陽本線を利用した。
宮島まで渡る船を運行している会社は二つある。「宮島松大汽船」と「JR西日本宮島フェリー」である。
青春18きっぷで唯一乗れる航路として有名な「宮島連絡船」とは、後者のことを指している。
乗船券代すら節約したいケチな私は、当然こちらに乗船。
ようやく空は晴れてきた。

厳島神社を見学。残念ながら潮は引いていなかったので、大鳥居まで歩くことはできず。残念。

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宮島を去った後は、広島中心部に寄る暇もなく、呉線に乗り換えてまっすぐ呉に向かった。

鎮守府の町、呉。フェリーに乗船する予定があるため、少ない自由時間に散策できるのは海沿いに限られた。
「大和ミュージアム」の無料エリアのみを散策してみる。
入口横の屋外に展示されているのは、大和ではなく爆発事故で沈んだ戦艦「陸奥」の主砲やスクリュー、舵などであった。
レプリカではない「本物の艦艇の一部」を見るのは初めてであり、そのスケールの大きさだけでなく、表面の傷ひとつひとつにも
ずっしりとした重みが感じられる。

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???「あまり火遊びはしないでね…お願いよ。」



呉からは石崎汽船の「翔洋丸」に乗船。松山観光港を目指し、瀬戸内の穏やかな海に出撃…ゲフンゲフン出航する。
船内では前面展望が望める座席を確保し、スナック菓子片手にのんびりと船旅を楽しんだ。

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松山観光港から、最寄りの伊予鉄道高浜駅までは徒歩約700m。
160円を払えば連絡バスに乗れるが…平坦地での700mの距離に160円とは、いささか高い気もする。

伊予鉄で松山市内に入り、平面交差で有名な大手町で下車。
ここで当会のメンバー達と合流し、合宿参加となった。




8月28日 合宿会場<徒歩>道後温泉駅<伊予鉄道 市内電車>松山駅前<松山市内散策>松山駅
<予讃線>宇和島駅<予土線・鉄道ホビートレイン>窪川駅<土讃線・特急あしずり>高知駅


朝、合宿会場となったホテルを出発。
大寝坊をしても良いように松山出発を午前遅くに設定しておいたため、余裕をもって市内を観光することが出来た。
松山市駅や松山城を一通り見て回ったものの、親戚への良いお土産が見つからず。
それもこれも、JR松山駅のお土産コーナーが小さすぎるせいだ。駅舎改築を機に拡大してほしいものである。

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キハ54形で松山を出て、予讃線の海線経由で宇和島まで一路南下する。
北海道仕様の500番台には何度もお世話になっているこの形式だが、四国仕様の0番台は車内や側面がだいぶ違う。
車内もオールロングシートであり、もはや別形式と言っても過言ではない。
天気はどん曇り。せっかく下灘駅に停車したのに、旅行誌で見られるような絶景を拝むことは叶わなかった。



宇和島から先は、JR四国ご自慢の「新幹線」に乗車した。
営業最高速度は85km/hだが、気にしてはいけない。
床下からアイドリング音が聞こえてくるが、気にしてはいけない。
たった1両編成だが、気にしてはいけない。
先頭部の流線型が「ハリボテ」だったり「ラッピング」だったりするが、気にしてはいけない。

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デパート屋上の遊具や幼稚園バスのような風貌の「迷列車」であるが、
この列車がデビューした2014年3月15日には、沿線に地元の人々が集まって手を振るなど
九州新幹線の「祝!九州」CMのような心温まる光景が展開されていた。

この列車で宇和島から窪川まで移動する。
本来は観光列車の扱いらしいが、各駅に停車する普通列車であり、乗客の顔ぶれは地域の生活列車そのもの。
駅の発車の度に0系のタイフォンが鳴るのも含めて、なかなか面白い旅であった。
窪川からは2000系あしずりで高知にワープ。高知在住の知人と再会した。




8月29日 高知駅<土讃線>土佐山田駅<土讃線・特急南風>阿波池田駅<土讃線>琴平駅
<土讃線>多度津駅<予讃線>坂出駅<快速マリンライナー>岡山駅<山陽本線>
相生駅<山陽本線・新快速>神戸駅<山陽本線>兵庫駅<川崎重工業兵庫工場 見学>
兵庫駅<山陽本線>神戸駅<東海道本線・新快速>米原駅<東海道本線・新快速>岐阜駅


この日も大移動を敢行した。
ただし、土讃線山岳部は列車の接続が悪く、普通列車を待っていては後の旅程に影響が出るため、土佐山田−阿波池田間のみ2000系南風を利用した。
振り子車両独特の乗り心地を楽しむ。2000系後継車は振り子じゃないらしいが、曲線通過性能は大丈夫だろうか…。

瀬戸大橋エリアは某電車運転シミュレーションゲームで「通い慣れた」区間である。
琴平から岡山までは2度の乗り換えを強いられたにも関わらず、あっという間に到着した感じがあった。

岡山からは山陽本線を東へ。兵庫で途中下車し、川重兵庫工場を再び訪れる。
運よく、近隣の建物の共用通路から、キハ285系の「顔」を撮影することが出来た。
私のペンネームにもなっているこの形式は、残念ながら諸般の事情により量産化が見送られた「幻の特急」だ。
JR北海道の専用検測車両への改造が噂されるなど、話題の絶えない形式であり、北の大地の「次世代迷列車」である。
…今回の旅行では「迷列車」達との出会いが多いように思える…。

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JR西日本とJR東海の新快速を乗り継いで、岐阜に到着。
ここまでの5日間で、青春18きっぷを完全に使い切った。
時間は掛かったものの、コストパフォーマンスの良い旅ができた…と思う。
今夜はここで宿を取る。




8月30日 名鉄岐阜駅<名鉄名古屋本線>金山駅<名鉄名古屋本線>名古屋駅<地下鉄東山線>藤ヶ丘駅<リニモ>
愛・地球博記念公園駅<リニモ>藤ヶ丘駅<地下鉄東山線>名古屋駅<あおなみ線>金城ふ頭駅<リニア・鉄道館 見学>
金城ふ頭駅<あおなみ線>野跡駅<名古屋市バス>名古屋港フェリーターミナル<太平洋フェリー きそ>


名鉄で名古屋まで出て、金山駅で名鉄車両を撮影。
地下鉄名城線で一度藤が丘に出て、『万博の遺産』リニモに体験乗車することもできた。
運賃が高いせいなのか、利用が伸び悩んでいるようだが…第二のピーチライナーになってほしくはないものだ。

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その後、これまた経営が心配なあおなみ線で金城ふ頭に移動。
JR東海ご自慢の「リニア・鉄道館」にて数々の保存車両を見学した。
JR東日本の鉄道博物館と異なり、館内が明るいので写真撮影がしやすかったのは高評価。

丁度0系を正面から撮ることができたので、一昨日撮影した四国の0系っぽい何かと比較してみる。



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…そっくりだな(白目)


そして、名古屋港から太平洋フェリー「きそ」に乗船。
マットレスに横になったままで仙台港まで運んでもらえる、素晴らしい乗り物である。
2014年春に帰省のため「きたかみ」を利用して以来、すっかり私は太平洋フェリーのファンとなってしまったようだ。
この日は船内で一泊。




8月31日 <太平洋フェリー きそ>仙台港<徒歩>中野栄駅<仙石線>あおば通駅<市バス>自宅


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※画像は「きそ」ではなく、途中の洋上ですれ違った「いしかり」です。

天気は晴れ。
今日は列車の乗り換えの為に、重い荷物を持って歩く必要は無い。
午後遅くまで体をゆっくりと休め、穏やかな船旅を楽しんだ。
そして午後4時過ぎ、仙台港に入港。長かった合宿旅行もこれにて完結…。
…と思ったら。


あれ?岸壁になんか見覚えのある奴が陸揚げされている…。

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E7系のF10編成、11号車と12号車であった。
この編成は山口県にある日立の工場から運ばれてきた模様。
フェリーターミナルの近くに降ろされていたので、フェリー下船後に徒歩で車両の前まで辿り着くことが出来た。

東北・東海道・山陽新幹線を横目に見ながら移動し、四国新幹線に乗車し、北陸新幹線を(車両だけだが)見ることのできた今回の旅行。
総移動距離は2000kmを越えていると思われる…。
とにかく、非常に密度の濃い旅となった。


さて、次はどの地域を見に行こうかな…?